【反全体主義のバイブル 】英国で「読んだふり本」第一位に輝くほど有名なディストピアSF小説

『1984年』ジョージ・オーウェル

去年から今年にかけて約三ヶ月。じっくり読んでいたのがこちらの本。

これは読書家の間では言わずと知れた名作だが、意外と「タイトルと表紙は知っているけど、読んだことがない」と言われている本のひとつだ。

 

たしかに表紙は見るからに硬派そうな、難解な小説に見えるが、今の政治や世の中に疑問や不満を抱えている人なら、一読の価値はある。

その実、大型書店などでもディストピア小説フェアなるものが展開されており、本書の帯には

というようなことが書かれており、出版社のお墨付きである。

読後はとにかく、凄まじい小説だった。

読み終えてひと月になろうとしているが、その余韻は今もまだ続いている。

本当の意味でこの本を読み終えた、とは言えないが、拙劣ながらも本書についての考察を巡らせてみたいと思う。

抽象的ネタバレ考察(感想)

分類としてはSFになるが、表紙にあるような宇宙が舞台の小説ではない。

これはある「国家」のお話である。

監視の目が行き届いた社会。

国家を非難する言動はもちろん、目には見えない思想や、肉眼では捉えられないほどの抑圧された肉体の一瞬の痙攣までもが監視され、ひとたびそれが思考警察にバレるや国家反逆罪とみなされ、その存在は抹消される。

そしてそれは、単なる「死」という意味ではなく、文字通り存在そのものがなかったことにされるのだ。

「そんな馬鹿なことがあるか」と思われるかもしれない。

だが、人間が事実を証明するときに必要になってくるものは、たしかな「エビデンス」であったり、「物的証拠」であったりと、外部記憶によるところが大きい。

それは、人の記憶という内部記憶と対を成すものであり、内部記憶はご存知のように曖昧で、それを論拠としていては、あらゆる物事が立ち行かなくなるのはおわかりいただけるだろう。

 

だが、この『1984年』に登場する、国家を支配している「ビックブラザー党」はそれをものの見事に逆手に取る。

外部記憶によって社会が成り立っているのであれば、その秩序を徹底的に破壊し、内部記憶しか拠り所のない社会にしてしまえば、人間を完全なる支配下に置ける、と。そう目論み、党はそれを実現させているのだ。

歴史を改竄し、都合の悪い事実を破棄し、都合のいい事実を捏造する。

「あった」ことが「なかった」ことにされる。昨日の真実が、今日の嘘になる。

そんな馬鹿げたことを、論理的かつリアリティを持って描かれているのがこの『1984年』という小説の恐ろしいところだ。

 

……最近どこかでこの手のお話を耳にしたことはないだろうか。

どこの、誰が、とはあえて言わない。

言葉の定義が曖昧にされたり、語彙が貧弱になると、思考や思想までもがその奥行きを失うことになる。ましてそれが、国家として容認されてしまうと、いつの間にか嘘が真実になっていたり、真実とされていたものが嘘であることにされる。

今はまだ、証拠というものが残されておりながらこの体たらく…。

もし、ビックブラザー党のような徹底した社会が実現されていれば、真実を捻りつぶすことなど造作もないだろう。

 

だがここで一矢報いたいのは、過去をなおざりにする社会など許してはならないと明記しておこう。

歴史とは、過去とは、血の歴史であり礎であり、幾千の悲嘆と歓喜の叫び声、あるいは囁き声なのだ。

人の経験によって生まれたものを、ただ現在の私利私欲のためだけに消費する…。

そんなことはあってはならない、と私は強く思うのだ。

 

だが、こんな論理さえも覆してくる本書の展開に、読者は唖然とさせられることだろう。

ちなみに筆者であるジョージ・オーウェルは、全体主義に対しては断固反対の立場を言明していることも言い添えておこう。

だからこそ、皮肉にもこのような禁断の書を生み出せてしまった、ともいえるのかもしれない。

 

思考警察に捕捉される前に、早めの購読をおすすめします。

 

ジョージ・オーウェル (著), 高橋和久 (翻訳)