FAP療法 anetaly(アネタリイ)カウンセリング一回目 感想

つい先程、FAP療法カウンセリングを終えた。

いままでカウンセリングを受けた後は二週間ほど、いや、それ以上時間が経たないと、その感想を書くことができなかった。

カウンセリング後、視界はスッキリするのだけど、意識的な部分を掘り下げようとすると不明瞭というか。

時間が経たないとその頃の記憶が蘇ってこなかったのだ。

理由こそわからないが、おそらく自分の「心」が、整理されるまでの時間を要していたのかもしれない。

その間隔が、今回はとても短くなっていることも、FAP療法による効能だと私は感じている。

 

そんななか、今日はカウンセリングを受ける前から、感想が書けるような気がしていた。

だからこそ、パソコンを持ち出して、カウンセリングを終えたその足でカフェに入り、いまこの記事を書いている。

 

最近は大嶋書籍関連の記事をアップしていなかったので、「更新まだかな」と心配や期待をしてくれていた読者もおられるかもしれないが、ご安心を。それというのも、ある意味いい兆候なのだ。

なぜなら、大嶋先生の書籍を読み返す必要がないほど、毎日が充実していることの裏返しでもあるからだ。

もちろん、「心にきく」は、邪魔排除ツールとして、「不快」な感覚が襲ってきたときには使うようにしているが、それ以外では、大嶋先生のブログもDVDも書籍も、ほとんど目にしていない。

頼らずとも、自力で立ち直る力が養われてきたからだろうと私は踏んでいる。

まじで大嶋メソッドすげえ。最強じゃねーか。

 

当ブログのカウンセリング記事の経過を読んでくださっている方が気になるのは、例の症状のことだろう。あれはどうなったの?と。

そう、あれとは「謎の首の震え・硬直」のことだ。

この症状がきっかけで、リベレスタカウンセリングを受診しはじめたのだから。

 

結論から申し上げる。

症状の8~9割は改善しました。はい。

 

いや~、もうね、生きやすさが全然違う。

これが普通の感覚なんだ、っていうのを風呂に浸かるような感覚で、通勤バスのなかでも感じている。

普通に前を向ける喜び。ふつうに前を向く必要しかない場面でも、左を向けない状態と左を向ける状況では、明らかに後者のほうが解放感が違うのはわかっていただけるだろう。

左を向きたいときは向く。ただそれだけの喜び。

その身体症状が緩和されたことで、仕事の疲労度も違うし、行動力、活動範囲が広がってきた。

読書会なるものに参加しはじめ、自分の好きな本、おすすめの本を人前で紹介するという、昔の、一年前の自分からすれば最高難易度のことを、やってのけているのだ。

もちろん、まだ不慣れだから、言いよどむこともあるし、緊張もする。

だが、昔参加した哲学カフェであったような、自分の考えを喋ろうとすると、体が硬直して震える、という症状はまったく出なくなった。これはつい昨日の話なのだが。

隣の人にも、落ち着いて耳と体を傾けることができるようになっていた。

いま書いていて益々実感してきたけど、本当に、本当にありがとうございました。

まさか一年足らずでここまで回復できるとは思ってもいませんでした。

大嶋先生はじめ、舌間さん、解散しちゃったけどリベレスタメンバーのみなさん、このブログにコメントを残してくださった方も、そうでない方も、本当にありがとうございます。(なんでそうでない人も?って思うかもしれませんが、数字というかたちで読んでくださっていることはわかるので、執筆のエネルギーになり本当に感謝しています)

 

と、いうわけで、明日からようやっと週四日勤務復帰!がんばるで。

 

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私の身体症状が和らいできたことと、自分の思想・考えを人に表明することが徐々にできるようになってきたことは、無関係ではないように思っている。

 

そしてこれはきっと、私だけの問題ではないように思うのだ。

日本中の多くの人に当てはまるのではないだろうか、と。

それは、マイノリティや社会的弱者、というわかりやすい被害者だけではなく、加害する側も、である。

間違った考え、突飛な言動、世間的にNGかもしれないこと、というのを避けようとする。

私たち日本人は、そんな空気のなかで懸命に生きてきた。

 

本当は不安に思っていることなのに、社会的なしがらみや、「男だから」「女だから」「いい大人なのだから」といった理由で、責められるのが怖くて、質問すること、わからないことをわからない、ということが恥ずかしくて、言いたいこと、聞きたいことを聞くことを避けてきた。

「いい大人のくせに」と 僕らは自嘲するけど

「大人なんていないのよ」 君はそう言ってkickする

Every Day is Summer Vacation / 渡會将士

そして、勇気を振り絞り、発言をすると、たちまち袋叩きにあったり、非難されたりして、「やっぱり言うべきではなかった」と後悔して、せっかくの学ぶ姿勢を潰してしまう。

きっとそれは、潰した側も、自分が知っている正しさを表明したかっただけの、不安由来の非難なのだ。

 

もちろん、世の中にはいろんな人間がいる。

「自分が自分が」という人の話を聞いてやるほど、私はお人好しでもない。

だけど、「傾聴すること」は、状況を好転させる、手段のひとつであるのかもしれない。

それは、個人が、というよりも、社会的にそうした場所やコミュニティを設けることというか。そういう場所が増えていけば、世の中も少しは明るくなっていくんじゃないかな、と。

 

というのも、「自分の話をこんなに親身に聞いてくださる」という行為そのものが、自分のなかに溜まったストレスを発散・浄化させてくれる作用がある、ということを身をもって実感しているからだ。

カウンセリング料が12,000円って、破格だと思う。(それに加えてトラウマ治療、心に聞く、までしてくださるのだから、、)

自分だったら、人の話をこの価格で聞いてあげる気にもならない。←

「仕事だから」という人もあるかもしれないが、私は仕事であっても嫌だ。

だから本当に頭が下がる思いだ。し、そんな職業を進んでやってくれる心優しき人がいるのかどうか、という問題もあるが…。

 

自分の思ったこと、感じたことをとりあえず言ってみる。

ある意味、当たり前のことだ。

だけど最近は、それすら自粛ムードがある。

間違いを過剰に恐れ合っている。

 

「どうして人は、人を殺しちゃいけないの?」

はっきりいって、私にはこの答えがわからない。

だが、そんなことを口に出してしまえば、おそらく怪訝な顔をされるか、頭のおかしい人扱いされるのは必定であろう。

だが、そんな一見タブーのような疑問にこそ、折り合いをつけるための、問題を解決するための糸口は隠されているのかもしれない。

そんなことを、思った。