村井理子『兄の終い』不仲な家族を持つ人は一度読んでおきたい小説風エッセイ 兄の突然死から始まる怒涛の五日間

こんなに早く本を読み終えることも普段はそうそうない。

というのも、平日二日間で勢いで読了した。

単純に、著者である村井理子さんの淡々とした調子で綴られるライトな筆使いが、重たい印象を抱かせがちな出来事に対しその効力を発揮しているのだろう。

ここで著者の経歴を少し紹介したい。

翻訳家/エッセイスト
1970年静岡県生まれ。琵琶湖のほとりで、夫、双子の息子、愛犬ハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。
主な連載に、『村井さんちの生活』(新潮社「Webでも考える人」)『、犬(きみ)がいるから』(亜紀書房「あき地」)。著書に『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)など。訳書に『サカナ・レッスン』(キャスリーン・フリン著、CCCメディアハウス)、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(キャスリーン・フリン著、きこ書房)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(共にトーマス・トウェイツ著、新潮社)、『黄金州の殺人鬼』(ミシェル・マクナマラ著、亜紀書房)などがある。

引用元:Amazon「著者について」より

長くなった。引用だから仕方ない。

話を戻そう。どれかひとつはその本のタイトルを見聞きしたことがある人もいるだろう。

 

普段あまりエッセイに興味のない私。それでもこの装丁の文字とイラストとテーマに惹かれて本書を購入するに至った。

内容はもちろん「親族の死」がテーマ。しかも頭には「不仲な」という形容詞がつく。

その部分についてはおそらく(不仲な家族を持つ)多くの人が共感を覚えたり、あるいはまだ経験のない人は、その事態に思いを馳せることになるのかもしれない。

 

だが私は、どちらでもなかった。

今回のレビューは、この本を「読んでみたい」と思っている人にとってはなんら有益な情報ではない。

いやむしろ害があるといってもいいかもしれない。

これ以降に書かれることは、「本書に興味がある人」「読み終えた余韻でレビューを漁っている人」は読まないほうがいい。

この本の主題とはまったく関係がない、ごく個人的妄言であり、それによって少なからず気分を害する人が現れるだろうことは想像に難くないからだ。

いちおう断りは入れた。

 

この本を読み終えての自分なりの感想をここに記しておきたい。

これはほんとに、自分のための記録でしかない。読む価値はないです。

 


 

まず本書を読み進めていてずっと心に引っかかっていたことがあった。

それは、死んだ兄が再起を目指して茨城という街に引っ越したこと。

兄妹のなかでは一番下の小学生である長男の一人息子を連れて。

 

「再起を目指して東北に赴く」という行動は、私のなかでどうしてもある事柄が過って、あの日に引き戻されてしまう。

復興ビジネス。復興を標榜する街。そしてそこに住まい続ける人々。

村井理子さんの視点で描かれるこの街の人々もまた、とても温かみがあり、どこか変わっていて、優しい。街の適度に整えられた景観や、穏やかな時間の流れ。そんな印象を彼女自身も抱いており、そこになんの恣意が介在するでもなく、ありのままの事実として受け取り、憎かった兄が住んでいた茨城という街に愛着を覚えていく。

 

しかし私が抱いた印象は、恐怖であった。

もちろん、村井さんの兄が亡くなった理由がそのせいであるとは言わない。

私が言いたいのは、街全体が、街に暮らす人々が「死」というものを、受け入れて生きているというその死生観(と呼ぶにはあまりにも欺瞞的なもの)に、恐怖の念を覚えたのだ。

おそらく孤独死も、さほど珍しいことではないのだろう。

そこに登場する人々の誰もが、「死」というものを「日常」として見ていることに、限りない違和感を覚えるのだ。

警察署の人間も、葬儀会社の人間も、アパートの大家も、特殊清掃員も、野次馬的な近隣住民も、学校の教員たちも。皆この事態に慣れているような気がした。

出会う人すべてが、彼女に一種の親しみのようなものを持って歓迎される。

それを単に温かい人間として見て受け取れるほど、私の心は綺麗ではない。

兄の息子の担任の先生が流し誤魔化した涙は、果たして筆者が捉えていたような単純なものだったろうか。

なにか見えない空気に支配され、支配されていることすら頭の隅から追い出し、欺瞞的に生きている。

その空気に、学校の子供たちまでもが従っている。彼らにとって生き延びるためには、そうするしかないから。

 

それはべつに東北という地域に限った話ではない。

その空気は、死の灰と共に日本列島を覆いつくすことになるだろう。いや、もう蔓延していると言っていい。

そうして病気や突然死は、理由が明らかにされることもなく、私たちの日常となっていく。お得意の二重思考によって。

 

きっとこれからの日本は、こうした「死の美談」に溢れていくと思う。

これは予言でもなんでもない。

癌、心不全、白血病、その他あらゆる難病、その統計を見れば事実は歴然としている。

因果関係を証明することはできないまま、それと向き合うこともできないまま、私たちは死を享受していくのだろう。

そんな世の中クソ食らえだ。滅びゆく人類の生き証人になるなんて、思いもしなかったよ。

いつか私が死ねば、このブログも自然に淘汰される。なんのためにこの記録を残しているのか、わからなくなってきたね。

 

まあ、不仲な親族との別れがどんなものなのか、疑似体験としてはいい読み物だったよ。

 

村井 理子 (著)