町田康『バイ貝』町田作品初心者には絶対におすすめしない!町田康史上、最高にしょーむない小説

町田康さんは私の大好きな作家だ。

いや、作家という範疇にとどまらず、その人物として、人格者として惚れ込んでいる。

町田康(以下敬省略)に最初に興味を持ったのは、町田氏率いる「INU」という名前のパンクバンドの歌詞を読んだのがきっかけだった。

俺の存在を頭から打ち消してくれ
俺の存在を頭から否定してくれ

おまえらは全く
自分という名の空間に
耐えられなくなるからといって
メシばかり喰いやがって
メシばかり喰いやがって

メシ喰うな! / INU

簡単に物が在って
簡単に手に入らない
手に入ったところで
おまえのものにはなりえない

ええ加減にせんと気い狂て死ぬ
ええ加減にせんと気い狂て死ぬ
ええ加減にせんと気い狂て死ぬ
ええ加減にせんと気い狂て死ぬ

気い狂て / INU

19でこれらの歌詞を、中毒性のある音楽に乗せて、くねくねした独特の歌唱法で唄い上げている。

私は当時、パンクのパの字も知らなかったし、今もパンクロックと聞いても町田氏と筋少の人しか浮かばないが、という前置きをしてしまうと、これから以下に書く内容の説得力が80%くらいDownするが、私は正直・誠実がモットーの人間なので、正直に思っていることを話すが、

本物のパンクロッカーというのは、この世の中のカラクリをわかりすぎたがために、本来は知性溢れる優等生が、敢えて畜生を演じて狂乱・醜態を人様に晒すことで、その理性の均衡をなんとか保っている、というのが私の見解だ。

 

頭がパンクしてしまう前に、「パンク」する

どうだろう、いま私は名言を発してしまったのではないだろうか。

これでも結構興奮している。たったいま思いついた言葉が、なかなか、パンクではないだろうか。

 

それはさておき、では、町田康の描く小説も、このような毒気凄まじい作品なのかというと、そうではない

楽曲との類似点を挙げるなら、歌詞以外の部分、奇天烈なメロディーと歌唱法にあるだろう。

もちろん、作品によっては、(作品のある部分では)その鋭い洞察力が遺憾なく発揮される場面も多々ある。

『告白』などはその最たる例だろう。

私が町田康に惚れ込んだのは、この小説を読んでからであった。(それはまた後日紹介する)

 

だが、多分に、町田氏の小説は、ふざけている。否、小説だけにあらず。

彼はたくさんのエッセイも出版しているが、精魂からふざけた野郎なのである。(誉め言葉)

自宅で一人、奇声を発したり、変な踊りを踊ってみたり。キチガイではなかろうか。(誉め言葉)

彼はもう今年で57になる。つまり、小説と彼自身には、明確な境界というものがないのだ。

町田康という人間の延長線上に言葉があり、我々はそれを観察する。

氏の文章を読むということは、双眼鏡、いや、顕微鏡を覗き込むようなものなのだ。

 

世間での町田康の評価は知らないが、おそらく万人受けする小説ではないのだろう。(数多くの文学賞こそ受賞しているが、ベストセラーと呼ばれるものはいまだにない)

というのも、その奇妙奇天烈、支離滅裂、しっちゃかめっちゃかな文体に戸惑い、読解できないばかりに、「なんだ、このくだらん小説はっ」と、悪態をつく中年のおっさんが目に浮かぶからだ。

一度、そうした思考の迷宮入りを自ら体験したことのない読者にとっては、少々読むのにクセがあるので苦労する、あるいは言っている意味がわからない、ということもあるかもしれない。

 

そのように、普段は人が通り過ぎてしまうような、目にも留めないような些細な出来事をつぶさに観察、分解、曲解し、自虐を織り交ぜながら、それを繊細と呼ぶには、ちとカッコがつかない滑稽さ、面白おかしさでもって物語を展開していく手腕が、彼の作品の魅力だと、こうして文章にして改めて書いてるうちにそう思われてきた。

私はその「カッコがつかない滑稽さ」にこそ、孤高のカッコよさを見出してしまっているのだ。

全然、カッコよくない。それが、かっこいいのだ。

それはもはや客観的な指標ではない。自己で完結する。日常を、自分のための物語として彩る方法を教えてくれたのは、あなたでした。てな感想がいまパっと思い浮かんだが、いまパっと思い浮かんだわりには、「それずっと思ってたこと」って気がしてきたので、そう思っていたことにする。

 

 

『バイ貝』を読んでいる最中に偶然、坂口恭平氏がこんなつぶやきを発していた。

この小説で学べたことは、この感覚に近しい。

いや、もっと、超越しているともいえる。

鬱を散じるために、金を使う、そのためにあくせく働いて、金を貯める、金を貯める作業は鬱が溜まる、そこで溜まった鬱を金を使って散じる。

この手法では、いつまで経っても根本的な解決にはつながらないのだ。

だが、『バイ貝』の主人公は、それとはまた別の、ある境地に達する。

それは決して夢物語などではなく、どこか不可能だとは思わせない説得力を持った結末を迎える。

 

 

町田氏はある番組かなにかで、「私、人間が好きなんですよ」と笑いながら仰っていた。

それは真に本心であろうなと思う。

でなければ、滑稽で醜く、俗物的な人間を、読み手の心に不快感を残さず、描けるものではない。

それは憎らしくも、憎めない人間たちに対する寛容な愛があるからではないだろうか。

 

記事タイトルにこそ「しょーむない」と書いてしまったが、それは過程の話であって、オチの僅か数行で、これは撤回せねばなるまい。とも思ったが、初心者が読むにしては敷居が(ある意味で)高いと感じたので、このままにしておいた。

 


 

これは去年の年の瀬も年の瀬、年始のバーゲンを控えた、とある大型ショッピングセンターにディスプレイされていたものだ。

何を言わんかや。

その真意はわからないが、ただならぬ悪趣味な遊び心と狂気を感じたのであった。

 

ちなみに、年始の初売り時には無難なディスプレイへと更生されていた。つまらぬ。解せぬ。おもしろくない。だが、この『バイ貝』は面白く読める。