『ビューティー・インサイド』外見or内面?恋愛映画の枠に収まりきらないスケールで描かれる男女のラブストーリー

外見か内面かー。

そんなありきたりでもあり、究極の問いでもある恋愛の本質に迫った映画、『ビューティー・インサイド』。

この映画はあらすじを流し読みする程度で、気軽な気持ちで見てほしい。

下記に予告動画を載せているが、それもできれば再生せずに見てほしい。

 

恋愛映画の枠に収まりきらないスケールで描かれる、壮大だけど等身大の物語に、渇いていたはずの僕の頬は、気が付くとしっとりと濡れていた。

予告動画

あらすじ

ウジンは18歳を境に、目覚めると年齢や性別や国籍を問わず、それまでとは全然違う外見に変化する奇妙な運命を背負うことに。一人の人物としてのルックスが定まらない彼は、インターネットを駆使して家具デザイナーとして働いていた。ある日、ウジンは家具店で働くイス(ハン・ヒョジュ)を見初め、毎日一見客のフリをしてその店に通い詰めるが……。

抽象的ネタバレ考察(感想)

レビューを書くまでに、この映画は三度も見直した。

一度見たときから、「なんて映画だ」と感動してしまったけど、ただその感情の振れ幅のほうが大きくて、いざ言葉にしようとすると、空を掴むような作業になった。

まるで言葉が出てこないのだ。

それはひとつに、この映画を最後まで見届けても、鑑賞者が明確な「答え」といえるものを手にできるわけではない、ということに起因しているかもしれない。

それだけ状況が複雑で、言葉で説明できる類の作品ではない

なので今回は、いつもの映画レビューとは趣向を変えて、ストーリーの流れを追うかたちで振り返ってみたい。

入り口は、やっぱり外見?

ウジンがイスに惚れたのは結局、「外見じゃないか」という人もあるかもしれない。

だが、それだけではないだろう。

最初に彼女の存在に気付いたのは、その話し声を聞いたからであった。

家具に対する豊富な知識や熱意、お客さんへの接客態度含めて惚れたのだ。

ウジンはそれから毎日のように、その家具屋へ通い詰めた。イスと会話をするために。

もちろん毎回、違う姿で。それでも彼女の接客態度が変わることはなかった。

 

唯一、この映画の強引な設定をあげるとすれば、初回のデートへの誘い方だろう。

それに応じたイスの心境も謎である。(助け舟を出すとしたら、家具の話しで意気投合し、それがイケメンだったということもあるのだろう)

それはまあ、触れないでおくとして、唯一ウジンの奇病を知っている親友のサンベクが、星野源にそっくりだと思ったことには触れずにはおられない。しかも下ネタ専用機のような部分も似ている。(星野源ファンはごめんちゃい)

『ビューティー・インサイド』のウィットな点

…これを言葉にしてしまうのは野暮で興醒めだろうと思う。

思うが、言いたい。言いたい欲が抑えきれないので話す。

まずは、音楽だ。ホセ・ラミレスのギターの音色が美しい。

それが二人を結ぶ一曲になるというのも、現代の邦画であれば絶対に真似できない設定だろう。

 

二点目は、恋人同士の会話だ。

なぜに、どうしてここまで会話の内容が自然なのか。

厳密にはまだ「恋人」ではないけれど、最初に二人で食事をするシーンでの会話なども、とても自然なのだ。それでいて、邦画のような陳腐さがない。

会話の内容そのものがウィットであるということは、監督のセンスの良さが窺える。

また、イスはもちろん、とくに、イスと最初に出会うウジン役の人(パクソジュンという俳優らしい)の演技がとてもいい。

ウジンもイスも、本当に初々しい感じが表れており、二人並んでホセ・ラミレスのギターの音色を聴くシーンでのあの、恥ずかしそうな二人。ぎこちなさ、が絶妙な間合いで演じられている。

 

そして三点目が、説明のなされない伏線の回収、だ。

いや、これは近年の日本映画にありがちな、「鑑賞者に説明的になりすぎる悪癖」を、私が目の敵にしているからこそ、そう感じただけであって、本来はこれくらいが普通なのかもしれない。

数年前バカ受けした『君の名は』ひとつとってもそうだろう。

鑑賞者の行間を読み取る能力が低いがゆえに、あの程度のわっかりやすい伏線回収型自慰作品がちやほやされるのだ。

あえて、ひとつひとつのシーンを列挙はすまい。さすがにそこまで野暮ではない。

静かに伏線が回収されていくその様は、本当に邦画界には見習ってほしいものである。

…図らずも、邦画界を盛大にdisってしまう結果となったが、これには私が洋画の見過ぎで、日本の手取り足取り映像作品が好みに合わなくなってしまったことも断っておこう。

束の間の幸福、その後訪れる苦難

当然、普通の恋愛映画と違うのはここからだ。

ウジンはイスと最初に出会った姿のまま三日間寝ずに幸せなひとときを過ごすのだが、現実は残酷だ。

イスとデートした三日目の帰り道。幸せの絶頂のなか、電車で爆睡してしまったウジンは、浮浪者のような風体の男になって目を覚ますことになる。

もう、これで終わったのだ」と、ウジンは自分に言い聞かせ、そのままイスとの連絡を絶とうと試みる。

だが、そんなこと、できるわけがない。

もう彼らには立派な、思い出という過去が出来上がってしまっているのだ。

そこでウジンは、一大決心をする。

語られる真実、当然の拒絶

ウジンはある手段を使って、イスに再び近づいていく。

それは物理的な距離だけではない。心理的距離を取り戻すために。

しかしながら、当然そんな真実を知らされたイスは混乱し、拒絶してしまう。

そもそも、そんな真実を隠して近づいてきたことにも怒り心頭だっただろう。

だが、時間の経過とともに、冷静さを取り戻してゆくイスは、ウジンの懊悩にも思いを馳せるようになる。

イスの決心、ウジンとの再会

イスが意を決して、ウジンの家を訪れた日。

扉を開けてそこに立っていたのは、日本人女性の姿となったウジンだった。

ここの配役が絶妙なのだ。

上野樹里。そう、あの上野樹里だ。

上野樹里と聞いて、皆さんは『のだめカンタービレ』のイメージが強いかもしれないが、なぜか私は彼女の演じる暗い配役のイメージが浮かぶ。

短髪が似合う、どこか淡白そうで、だけども憂いをはらんだ女性。

 

上戸彩でもなければ、剛力彩芽でもない、八代亜紀でもなければ、天童よしみでもない、上野樹里でなければ、なしえなかった素晴らしいチョイスなのだ。

子供であってもいけないし、おっさんであってもいけない。イケメンでは刺激が強すぎるし、美女であっては違う展開のキワモノ映画になっていたかもしれない。

…おふざけが過ぎたようなので話を戻すと、この場面での演出もウィットに富んでいる。

言語の違い、そして彼女は仕事柄、多国籍語を操れるという設定だ。

こういった些細な「違い」を生み出すことで、鑑賞者にもその後の展開につながっていく、微妙な齟齬を表現していたのかもしれない、と思うのは、私の勘繰りすぎだろうか。

 

翌日、ウジンが目覚めたときの顔面については「ご愛嬌」ということで。あくまでね、恋愛映画なのでね、ロマンチックにね、してやってつかあさい。

こうして二人は、強い絆によって結ばれたカップルとして付き合い始めることになるのであった。

めでたしめでたし…とはならないのがこの映画の真髄

しかーし、これまでの部分はプロローグといっても過言ではない。

『ビューティー・インサイド』という作品の真髄はここから始まるのだ。

付き合いだした頃の二人は、順風満帆といってよかった。

その毎日変わるウジンの姿を、イスは受け入れ、むしろ違いを共に楽しんでいた。

だが、そんな日も長くは続かなかった。

意識で受け入れてはいても…

会うたびに姿が変わっている人間に会うというのは一体、どのような気分なのだろうか。

ましてや、それが恋人である。戸惑わない人間がいるだろうか。

どれほど内面を愛していようと、一見して人間がその個人を特定できるのは、やはり姿かたちである。

それは、目で見る姿はもちろん、肌触りであり、肉声であるはずだ。

そんな個人の人間が、同じ人間として識別し得る情報のすべてを、ウジンは日ごと眠るたびに、失ってしまうのだ。

 

イスの潜在的な意識は、毎回姿が変わる人間を、容易に受け入れることはできなかった。

イスだけではない、世間の目はどうしたって誤魔化すことはできないのだ。

毎回違う人間と会っていれば、よからぬ噂がたつというもの。

 

彼女は次第に記憶障害のような症状に悩まされはじめ、ウジンに内緒で精神科へ通院することになる。

どこに行って 何を食べたか お店のメニューまで全部覚えてるのに

あの人の顔が思い出せない

結局、私たちは外見でしか判断できないのか

少々強引な見出しを付けてしまったが、これには理由がある。あるはずだ。

回収できるか不安になってきた。

だがこれは、巷で言われている「外見or内面?」とは、多少ニュアンスが違う気がする。

ここを掘り下げたい方は、安部公房の『他人の顔』をおすすめする。映画でも小説でもいいので、「人間の外見の持つ力」について深い知見を得られるだろう。

苦難を知ったからこそ、乗り越えられるもの

結局、ウジンはイスのことを想って、一方的に別れを切り出し、行先も告げず、海外へ移住してしまう。

もう二度と会うことはない。

彼はイスへの愛する気持ちを封じ込め、また孤独で、慎ましい生活のなかへ帰っていった。

 

だが、イスは違った。10か月の時を経て彼女はある真実にたどりつき、彼を探し出す。

イス:ー私はもう大丈夫
ウジン:また具合が悪くなる
イス:それよりつらいのは あなたがいないこと

感情を押し殺そうと肩を震わせて泣くウジンの後ろ姿は、まぎれもなく、キム・ウジンという一人の男であった。

エンドロールは最後まで見るべし

この映画は若いお二人さんがハッピーエンドを迎えて終わり、ではない。

もしもエンドロールで停止ボタンを押してしまった人がいたら、最後まで再生するように。

 

この監督、まじでやべえな。何者なのだろう。

最後までお洒落で粋な映画でした。

 

 

追伸

とある女友達に言われた。

「でもこれってさ、どうせ逆は成り立たないんでしょ?」

 

返す言葉もございません。