映画『ブラッド・ダイヤモンド』感想

この映画を見るまで「シエラレオネ」という国を知らなかった。

アフリカの西に位置するこの国は、世界最貧国ともいわれており、寿命が世界一短い国でもある。

そんな国を舞台に撮影されたのがこの『ブラッド・ダイヤモンド』だ。

ダイヤをめぐる、富める国と貧しい国。

この手の利権が絡んだ映画を見るとき、自分は加害者側ではないところに身を置こうとする。「悪いやつは誰か」という視点で物語を追う。そして最終的には、今回もご多聞に漏れず、一部のブルジョワや、何も知らない哀れな民衆たちへと、怒りの矛先は向けられる。

かつては、「ダイヤなんて、お金持ちの、紳士淑女が扱う装飾品であり、自分には関係がない」と思っていた。しかし、調べてみると、その一部はスマートフォンやパソコンの中身にも使われているという。

僕は狡い。こうして自らが加担していると知ると、その論調は弱まり、どこか自分が、被害者であるかのような気分になってくる。

もちろんその原石は、映画に出てきたような、不当な売買によって取り引きされたものではない。ある年を境にして、取り締まりは厳しくなり、不当な労働によるダイヤは、少なくとも表の市場には出回っていない。

これだけテクノロジーが発達して、さまざまな情報や娯楽が手に入る昨今。

きっとこれはダイヤに限った話ではない。

普段の何気ない選択や習慣が、顔も知らない誰かを踏み台にすることで成り立ってしまう生活の上に、僕たちは暮らしているんだと思う。

それらを享受しない、という立場をとるなら、たちまちにして今のような、節制しているなりにも豊かな生活は送れなくなるだろう。

 

物語の骨子であるダイヤモンドをめぐるストーリーは然ることながら、この映画はそれだけじゃない。

裏取引で暗躍する主人公の心境の変遷、ジャーナリストの苦悩、そこで芽生える愛、アフリカ父子の愛といった心の機微が、まったく自然なかたちで、丁寧に描かれている。

反政府組織、いわゆる過激派武装集団に息子を奪われ、調教され殺人兵士となった息子と父親が抱擁するシーンには目頭が熱くなった。

いわゆるテロリストが、常軌を逸した殺人集団だと認識する前に、僕たちが知らなくてはいけない現実がある。彼らを生み出したのは、誰であったか。

 

これだけ社会問題を盛り込んでおきながら、エンターテイメント性もある映画になっているのは監督の手腕だろう。

ちなみにこの監督は、「ラストサムライ」の監督でもあります。

 

監督 エドワード・ズウィック