赤松利市『ボダ子』胸糞小説を読みたい人におすすめ 筆者の実体験をもとに描かれた一人の人間の奈落へ転落する様を描いたヒューマンドロドロドラマ

人が目を背けたくなるような現実。

紛れもなくどこかにある、臭気を帯びた現実。

私はそんな小説が好きだ。

それは純真な「好き」とは違う。

ページを繰りながら、じとりとした、変な汗を額にかく。動悸がする。背徳感を覚える。そんな疼痛を伴うような小説が好きなのだ。

 

表紙とタイトルで即刻購入したこちらの作品。

ボダ子

『ボダ子』とはボーダー、いわゆる境界性人格障害を抱えた主人公・浩平の娘の呼び名だ。

 

ボダ子は浩平の三番目の妻との間にできた娘であり、これを寵愛していた。

だがそれは浩平の思い過ごしであった。

親子間における「優しさ」とはなにも、悪いことをしたときに叱らないことではない。

育児に熱心に関わろうとはしない。それはネグレクトという形の暴力となって子供を傷付ける。

 

加えて母・悦子による言葉の暴力に、浩平の与り知らぬところでさらされ続けた中学生の娘は、成人するまでの自殺率が10%を超えるという病、境界性人格障害を患うことになる。

チキショウ、金だ!金だ!

絶対正義の金を握るしかない!

この物語はそんなボーダーを抱えた娘を救うべく、震災で破綻した事業から一念発起。再起をかけて被災地の土木の現場に赴いた一人の男の挑戦と奈落への転落の記録である。

主人公の歪な嗜好

浩平には一風変わった嗜好がある。それは、「薄幸な女がタイプ」というものだ。

幸が薄い女と不幸な女は違う。苦労が毛穴から臭うようでは興が醒める。労わりたくなるような女では物足りない。憐れんで、それでいて尚、甚振(いたぶ)りたくなるような女に惹かれるのだ。

三番目の妻・悦子と娘のボダ子とは別居していた。

なぜなら彼は悦子の不貞を半ば利用する形で、別の愛人と籍を入れたからだ。

 

最初に別れた妻との間にできた一人息子とは関わり合いになれなかったため、浩平はボダ子こそは疎遠になりたくないと思った。

だが、それは血の通った自分の娘、というだけの話で、本当の意味でボダ子との関わり合いを「父親」として持ちたいというわけではなかった。

主人公の歪な思考

ボダ子がまだ生まれる前、浩平が三十を迎えるまでは金より仕事を取るような変わった人間であった。

残業に喜んで身を投じ、自らを追い込み、成果を上げることに熱中した。

同僚が病院送りになるなか、浩平は一人だけで不可能ともいえるプロジェクトをやり遂げた。

浩平のそんな歪な思考は、こんなセリフからも窺える。

ーこいつは卑屈者だ

社長に対する警戒心が、浩平の中で芽生えた。

大会社は腹黒い。

政治家は汚職をする。

官僚は自分の出世しか考えない。

官民を問わず、巨大な力に、警戒心を抱く者が浩平の考える卑屈者だ。

過ちを繰り返す理由

たとえどんなにその主張が正当で、頭では、理性ではそれがわかっていても、すでに回り続けている歯車の運動を止めるより、五年先、十年先の未来のことなど考えず、目先の利益や糊口を凌ぐために選択を自ら誤る。

「システムを回す」ただそれだけの理由から、すべての事実を置き去りにして、流されてしまうのが人間という生き物が背負っている宿命なのかもしれない。

 

この社会という巨大なシステムの中で、歪な個性を持って生まれ落ち、子を成し、負の連鎖を断ち切れぬまま奔走する。

人間というのはつくづく、変わった生き物である。

汚泥のデパート

権威、金、女。

男の陰湿な虐め。声の大きさで決まる、獣と変わらぬ畜生ども。

そやけどな、学校なんかでもそうや。加害者をどうかするより、被害者を、虐めの現場から遠ざけることを考えるもんや。アイツらの人間性を変えるんは無理やからな。

この世のあらゆる汚泥が、この胸糞小説には詰まっている。

浩平も、泰子に対する企てがあるので、他人のことを言えた義理ではないが、凡そ男と言うものは、余分な金を持つと、女に走るものだなと苦笑した。