【日本人が知らない中東情勢】戦争と紛争の影響下で生活する家族と女の子を描いたファンタジーアニメ映画

映画『ブレッドウィナー』

今回紹介するのは、映画『ブレッドウィナー』。

KBCシネマにて、火曜日一夜限り上映されるワンショットシネマを見てきた。

本作は去年の暮れに上映が決まっていたので、この日は絶対に行こうと決心していた。

仕事終わりに映画を見に行くのは、眠ってしまう可能性大なのであまり好きではないのだが、今回はそんな心配をよそに最後まで映画に釘付けとなって観ることができた。

 

実は本作は既にNetflix (ネットフリックス) で『生きのびるために』という題で視聴できるそうだ。

しかしやはり、スクリーンで見ておきたかった。(し、ネトフリ会員でもないので)

予告動画

あらすじ

2001年アメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタン、カブール。11歳のパヴァーナは、お話を作って家族に聞かせるのがとても上手な女の子。しかしある日、父がタリバンに捕まり、パヴァーナたちの暮らしは一変。女性一人での外出が禁じられているため、パヴァーナは髪を切り“少年”になって、一家の稼ぎ手(ブレッドウィナー)として町に出る。パヴァーナが目にした新しい世界とは? 家族たちの運命は…?

映画『ブレッドウィナー』オフィシャルサイト

アフガニスタン、中村哲医師

この映画の舞台はアフガニスタン、タブール。

アフガニスタンといえば、最近は故・中村哲医師だろう。

私は去年ぐらいから「戦争」について知りたいという欲がいつになく増しており、

そんな折、「中村哲医師、凶弾に倒れる」というニュースをネットで知った。

実は先日行われた『中村哲さんお別れ会』にも行ってきた。

それまで、その名も知らなかったのだが、日を追うごとに増えていく中村さんに関するニュース記事を今年になってから断片的に拾い読みしていくなかで、「中村哲」という人が残した言葉に惹き付けられ、自ずと「知らなくてはいけない」という思いに駆られた。

会の中で、アフガニスタン駐日大使や息子さんと娘さんの話を聞いているうち、中村哲という人が、巷で言われているような「聖人」であると同時に、一人の人間であり父親でもあったのだな、とそんなことを思った。

そんなふうにして、偶然にも時期が重なっての『ブレッドウィナー』鑑賞となった。

抽象的ネタバレ考察(感想)

いい作品、いい映画に出会ったときの感想はすぐに出てこない。

いつまでもそれが頭の片隅にあって、映画館を出て、日常というここにある現実に戻ってきても、半身はどこかに置き忘れたような、そんな心持ちになる。

この作品もそうだった。実際いまでもその感覚は残っていて、書き始めてはみたものの、うまくまとめられる自信もない。

 

それにしても日本って、日本人って、どれだけ恵まれていたんだろうね。(過去形なのはご愛嬌)

そう思わずにはいられない。

もちろん、その平穏はごくごく短い期間の話ではあるし、なにも日本に限った話ではなく、「夜目覚ましを掛け、朝起きて仕事に出掛け、定時まで働く」といった生活を営む国々のことを指している。

富める国と貧しい国を比較して「貧しい国の人々は~」というお説教がお門違いなのはよくわかっているつもりだ。

でもあまりにも、こうしていま10分先の未来が約束されている空間と、それさえままならず、飢えを凌ぎ、顔を伏せ生きている空間とが、同じ時代、同じ現実、同じ時間軸のなかに存在しているということが、あまりにも非現実的すぎて、衝撃的すぎるのだ。

同じ人間が、なぜこうも格差のある社会を生きねばならぬのか。それを半ば致し方がないと(今回の自分のように認識すらしていない場合さえある)是とする世界とはなんなのか。生まれた運が悪かったから?前世での行いがよくなかったから?

その理由が、本当にどうしようもない、人間の手では解決しようのない貧困や病気から生まれているのだとして、それでも全力で取り組んでいるのだとしたら、まだ理解できる。

だけど問題の本質が、人間の利害や憎しみや勘違いや金銭や権力に原因があるのだとしたら、それは止めることができる問題なのではないだろうか。

 

あるシーンで、男の子になりすましたパヴァーナが、かつて面識のあった銃を持ったタリバンの青年にバレてしまう。

必死に抵抗して洞穴に逃げ込み、大事には至らないのだけど、そのシーンで私はタリバンの青年に対して怒りや憎しみを覚えていた。

だけど映画館をあとにして、こうして時間が経ってみて思い至ったのは、「彼もまた被害者であった」ということだ。

その後青年は戦闘への招集がかかる。虚ろな目をしたまま、トラックに揺られ戦地へ赴く彼は、あのとき一体なにを考えていたのだろうか。

怒りではなく言葉で伝えて、花は雷ではなく雨で育つからー

中村哲医師の哲学と通底するものが、この映画にも流れていた。

それは生命をもたらし生命を育む「水」であったのかもしれない。