石井光太『浮浪児1945‐戦争が生んだ子供たち』戦災孤児から見えてくる、戦後73年を経た私たちが得たもの、失ったもの

1945年3月10日。

現在、東京周辺で暮らしている人たちにとっては、この日に起こった出来事をご存知の方も多いのだろうか。

それともー。

 

恥ずかしながら、九州在住の私にとって、名前こそ知ってはいても、出来事そのものにはあまり馴染みもなく、無礼を承知で言うが、本書を手に取るまでは関心のないものだった。

それというのはいまからたった74年前、東京がアメリカ軍による無差別攻撃を受けた「東京大空襲」のことだ。

いま書いていて思ったのだが、「たった」と述べたのは、読了後の心境の変化の、もっとも顕著な表れといえるかもしれない。

 

1945年3月10日未明。囮作戦によって日本のレーダーを掻いくぐってきたB29の大群が標的としたのは、当時「下町」と呼ばれていた一帯だった。

一機あたり一五二〇発。焼夷弾はよく「雨を降らせるようにして」という言葉で例えられているが、私たちが知っている「雨」を「爆弾」に置き換えてよくよく想像してみると、恐ろしい光景だ。

街は一瞬にして業火に包まれ、死体と瓦礫の山を築きあげた。

(前略)そして、わずか二時間半の間で百万人に及ぶ人々が被災し、約十万人が命を落とすことになったのである。

こうした壊滅的な被害を受けながらも、奇跡的に残ったのが上野駅の建物と、それに続く地下道だった。

生き残った人々は見渡す限り焦土と化した土地で、上野の駅舎を目指して集まってきた。

こうして家を失い、家族を失ったその足で、上野に集まった「浮浪者」は東京大空襲直後、千人を超えていたという。

そのうちの一割から二割を占めていたのが、空襲によって親兄弟と生き別れ、孤児として路上に放り出された「浮浪児」であった。

それだけではない。

同じ頃、地方都市でも空襲が激化していた。名古屋、大阪、神戸といった主要都市では複数回にわたる空襲によってそれぞれ一万人前後の死者を出し、青森、宮城、福島、岡山、福岡、大分などでも激しい空爆が行われた。

ここで焼け出された人々もまた、食べ物を求めて汽車に乗って東京に向い、上野駅にたどりついたのだ。

こうした空襲以降、上野は「浮浪者」「浮浪児」で溢れかえっていった。

千人が千五百人になり、とうとう二千人にまで達したという。

とりわけ、まだ10歳にも満たない子供を含めた、「浮浪児」たち。

本書が光を当てるのは、彼らがいかにして生き延び、現在に至っているのかということだ。

こうした歴史が、いま、時代の風化によって消されようとしている。

たしかにあった出来事が、「戦災孤児」の存在が、記録として、文書として、正式には残されていないというのだ。

石井光太氏は、「風化させてはいけない」「消えてはいけない」そうした想いから、歴史の一部を、懸命の取材によって浮かび上がらせ、ルポルタージュという形で残した。

 

まず、本当に恥ずかしいと思った。

当然だが、彼らの中にはまだ、生きている人もいる。

そして今も孤独な日々を送っている者も少なからずいる。

この事実に面食らった。

これだけ便利になり、(空虚とはいえ、)人とのつながりが容易にできていると思える時代の傍らで、重い過去を背負ったまま、虚空を見つめ、紡ぐ言葉も、伝える相手もいない孤独な老人がいることに。

 

本書を読み進めているうちに、段々と、この事実を知らない不特定多数の誰かに、教えてあげたい、知ってほしい、というような気持ちに駆られた。

毎度のことなのだが、私はこの手のルポや伝記ものを読むと、「こんな事実があったんですよ?」「信じられますか?」と、誰かを教え諭してあげたいような気持ちにさせられるのだ。

それは今回も御多分に漏れず、読んでいる途中まではそうした気持ちに駆られ、「読み終えたら早速、ブログに取り上げねば」と、謎の使命感に燃えていた。

だがそこにあるのは、純粋な「知ってほしい」という気持ちよりも、「高尚・高潔な自分」や「知識のひけらかし」という、隠された私のいつもの欲求である悪癖が内包していた。

多くの人が知らない事実に触れたときに感じる「優越感」。

それを知らずにのうのうと生きている人たちへの「憤り」。

 

私が読書を続ける理由はもしかすると、ここなのかもしれないと思った。

そうだとしたら、少しかなしいことだ。

 

だが、世の中というのは、得てしてそういうものである、と、なぜかしらこの『浮浪児1945‐戦争が生んだ子供たち』を読んだタイミングで、悟りのフェーズが、またひとつ上昇した。

 

現代の私たちが、「戦争の姿を思い描け」といわれても、それは体験したものの口から伝えられるものや、それを聞いて想像することでしか補うことはできない。

アニメ蟲師のなかに、こんな台詞がある。

感覚を分かちあうのは難しい

相手の触れたことのない手ざわりを 相手にそのまま伝えることはできないように

見たことのない者と その世界を分かちあうのは 難しいさ

蟲師 第一話 緑の座

「諦念」という言葉の意味を、今の今まで、悲観的なイメージで使っていた。

しかし、検索して調べた辞書の一番にはこうある。

道理をさとる心。真理を諦観する心。

本書を読み終えて感じたのは、いつものような誰かへの啓蒙欲求ではなく、この「諦念」であった。

私たちが、ここに今こうして生きているということ、息をしているということは、過去に、生きるための手段を選ばない、貪欲なまでに生きることへの執念を持ったご先祖があったからなのだ。

それは、現代の恵まれた環境に暮らす私たちの倫理観に照らし合わせてみると、決して褒められたものではないかもしれない。

だが、命のリレーとは、綺麗ごとではなく、誰かの犠牲の上に成り立っているものなのだ。

たくさんの流された血と汗と涙の礎の上に、私たちは立っているのだ。

と、そんなことを胸のうちで一人、静かに反芻し、そっと胸の奥にしまった。

それは、たとえどんなに時間が経過しようとも、決して忘れることのない場所に、だ。