『反省させると犯罪者になります』 感想

上記のタイトルの本を読んだ。

大きな殺人のニュースって、一年に何度か大々的に取り上げられますよね。

その行為が残虐であったり、幼い子供が対象になっていたりすると、連日加熱気味の報道が目立つようになります。

そして必ず、報道バラエティ番組などでは、「犯人がなぜ、このような残虐な行為に及んだのか」という犯罪者心理を考え(るフリをし)ます。

そして、犯人と面識のある人物がインタビューに答えるときには、「真面目な人だったのに、なぜ…」と言う回答。

ですが、僕は「真面目だからこそ」と考えます。

自分もですね、「自分は、100%犯罪者にならない人間だ」とは言い切れない人間でして。そう思いたい気持ちは山々なんですけど。というのも、この本を読んでいると、やはり他人ごとではないな。という気がしたからです。

真面目な人ほど心に溜め込む癖がある

「人間は、人に打ち明けたりして、つどつど発散するつながりを持っていないと、いずれ重大な犯罪を侵すか、心の病に罹る」と、筆者は言います。つまり、心に不満や怒りをため込む癖のある人なら、誰もが犯罪者になりうるのです。

普段からあまり本音で話さない日本の人たち。真面目な人間は、基本的に自分の感情を飲み込みます。真面目な人は、「~してはいけない」という自分ルールをたくさん持っている人だと認識しています。

その中の一つに、「自分の感情をあまり出してはいけない」というのがあります。

…黄信号です。

自殺と他殺に違いはあるのか

この本でも言及されていましたが、自殺も、言ってしまえば殺人です。

今回の視点で言えば、その対象が自分に向いたか、他者に向いたかの違いしかありません。

つまり、自殺と他殺の根っこにある原因は、同質です。

これは「いじめ」についても同じことが言えます。

いじめる人間は、精神異常者でしょうか?

殺人を犯す人間は、精神異常者でしょうか?

必ずしもそうではないようです。

なぜなら彼らはある意味、被害者でもあるからです。

反省させると犯罪者になります

読み終えたあとにこの本のタイトルを改めて読み直すと、タイトルどおりだな、と思った。

某ジャニーズメンバーのセクハラ報道の際もそうでしたが、悪いことをしたら、みなさんはどうしますか?

反射的に謝りますよね。「申し訳ありませんでした」と。

それはなぜか。

「悪いことをしたら、謝るのが当然」というのが、社会におけるルールだからですよね。

「相手の立場になって」「被害者の気持ちを考えろ」

これらの言葉は、解決どころか、状況を悪化させる作用があります。

両親の影響

犯罪者の大半が、子供のころ、親から大切にされなかった、という過去も持っています。(本書には「例外なく」と書かれていました)

それは、肉体や言葉の暴力に限りません。条件付きの愛で育てられた人もそうです。

条件付きの愛とは、たとえば、「テストで高得点を取ったら褒めて、そうでなければ褒めない」といったようなことを指します。

「なぜこれがいけないのか」と思われる人もいるでしょうが、条件付きの愛では、「高得点を取らないと愛されない!」ということを、子供が感覚的に学ぶからです。それはつまり、愛されない=自分に価値がない。となります。

そんな条件付きの愛をクリアするために、子供が必死になるとどうなるでしょうか。

本来、子供というのは、「そこにいてくれるだけ」で、愛されるべき存在です。これが無条件の愛です。

人は両親の影響を避けることはできません。

子供にとって両親(育ててくれる人)は、この世のすべてだからです。

その世界で生きていくためには、感情を抑圧します。

そしてそれが、生きるためのルールとして身体に染みついていき、やがて大人になってもそのルールに従って生きていくのです。

そしてそのルールの息苦しさに耐えられなくなった人が、感情が行動となって暴発し、いじめや盗み、殺人に手を染めてしまうのです。

ルールに従順な日本人に自殺が多い理由も、なんだかわかるような気がします。

本音を抑圧し続けている人たちがそれだけ多いのです。

自分の場合

子供の洞察力をなめてはいけません。顔色を読み取る技術は、男の子でも優れています。子供時代、普段自分は何も考えず、ぼけっとした子供でした。ですが、母親の顔色には人一倍敏感でした。失望させたくない。嫌われたくない。褒められたい。と常に思っていました。

父に対しては、怒らせてはいけない。気を損ねてはいけない。父が喜ぶことをしたい。と。

どこかへ行ったという思い出は、ほとんど思い出せないのですが、この感情記憶だけは鮮明に残っています。

自覚的になっていても、いまだに人の顔色を窺う癖がやめられず、苦しんでいます。

たとえ本人に自覚がなくても、潜在意識が覚えています。

だから、条件付きの愛では、大人になっても、子供を苦しめることになるのです。

展望

自分はこれまで、いじめられる側の人間として生きてきたので、被害者側の気持ちも、少しは考えられる人間だと思っています。

「反省」や「謝罪」という行為には、常に懐疑的でした。なぜならそれは、どうしても上辺だけに見えるからです。

小学生のころ、いじめを親に話し、先生に伝わり、先生がいじめた子に謝罪させると言ったときは、絶望的な気持ちになりました。面と向かって嫌々謝罪されたって、「あとが怖い」という気持ちしか起こらなかったし、実際に嫌がらせが無くなることはありませんでした。

「根本的な解決を、大人は誰も示せないのか?」って半ば、呆れました。それは当時、言語化できたわけじゃないけど、少なくとも、感じてはいたと思います。

だからこそ、いじめられた者として、これ以上、周りが加害者に対して、形式的な謝罪や反省を促すのではなく、更生を、本人が心を入れ替えるための学習を、促してほしいと思いました。その過程を経ないと、加害者は心からの謝罪も反省もできないからです。

人の痛みを考えるには、まず、自分の痛みと向き合わなければ永遠にわかりません。

それは、「自分がされたらどう思うか?」という、被害者の心境を自分に置き換えて考えること、ではなく、

加害した側の正直な気持ち、「本音」を見つめるということです。最初は理不尽とも思える言い分が出てくると思います。

それは根っこに隠された原因を、自分自身を紛らわす感情の声です。

ですが、その声に耳を傾け、掘っていけば掘っていくほど、抑圧された感情や過去に行き当たります。これが本音です。

そのための方法が本書には具体的に書かれています。

 

「被害者のケアより、加害者のケアが大切だというのか」という意見はもっともだと思いますが、それがゆくゆくは被害者にとっても、安心できる結果につながっていくと思うので、これまでのように、形式的な謝罪・反省を求めるやり方よりは建設的といえます。

厳罰化は抑止力となるのか疑問

そして世間では、専門家の世界でさえ、この事実を認識し、受け入れ、活用する段階まで至っていないそうです。

筆者のやり方が、加害者ケアにおける実績を上げているにもかかわらず、です。もちろん難しい問題はたくさんあります。

現状、裁判では「反省・謝罪」が量刑の基準となり、刑務所は「反省・謝罪」する姿をアピールする場になっています。

加害者をケアするための税が必要になると、国民の反発は必至でしょう。

年々、犯罪に対して厳罰化する声が、国民、政府の間でも高まっているそうです。

その大きな狙いは、厳罰化することで「犯罪を予防しよう」というものです。ですがこれは、加害するものにとって効果があるとは思えません。加害しているときは、抑制する気持ちなど吹き飛び、暴発してしまうからです。

罪を重くしたところで、現行のやり方では真の更生はできないどころか、長い刑期を経て出所した受刑者が、根本の治療はできていない、さらに現代は数年で世の中の流れが変わってしまう、そんな世界で生活していけるでしょうか。

再び、多大なストレスを感じて、再犯やもっと大きな事件を起こしてしまう可能性だってありえます。そうなればもっと、世の中には生きづらさ、息苦しさが蔓延していくのではないでしょうか。と筆者は懸念していました。。