伊藤計劃『ハーモニー』生きていること=痛み、苦しみ? 読者に実存とは何かを問うエンタメSF哲学小説

それがたとえ善意であっても、人間とは押し付けられることには耐えられない生き物なのかもしれない。

 

健康に生きることが強要される世界。健康に生きることが人間の鏡であるといわれる世界に、あなたは住みたいと思うだろうか。

『ハーモニー』は、「大災禍(ザ・メイルストロム)」という人間の理性の崩壊によって引き起こされた、世界規模の核戦争・放射能汚染によって地球のあらゆる場所が暮らせぬ土地と化した時代を経て生まれたユートピアの世界が舞台だ。

医療は超高度な発達を遂げ、成人後にWatchMeというソフトウェアを脳内にインストールすることで、医療パッチが作動し、あらゆる病気を未然に防ぐことができるようになった。

癌といった病気はおろか、風邪や肌の状態、健康体型の維持など、人間の肉体に害をもたらすあらゆる症状を放逐することに成功した。

それと同時に、死や病といったものは老衰を除いて無縁のものとなり、社会には「健康であること」「他者を気遣うこと」「自分の身体はみんなの資源(リソース)」といった考え方が醸成されていった。

この小説は、そんな暮らしが当然と見なされて幾年が過ぎた時代の物語である。

優しさの蔓延する世界でも人は死を選ぶ

そんな世の中にあっても、自殺者というのは一定数存在し、その数は年々増加傾向にあった。

小説に登場する「御冷(みひえ)ミャハ」「霧慧(きりえ)トァン」「零下堂キアン」もまた、そんな押し付けられた優しさに息苦しさを覚えていた学校に通う13歳の少女たちであった。

御冷ミャハだけはその考え方が突出しており、ありがた迷惑なこの過保護な世界に報復するため、己の身体を傷付ける=自殺することで復讐しようという企みを二人に持ち掛け、実行する。

しかし、不幸にも霧慧トァンと零下堂キアンは一命を取り留め、御冷ミャハだけが命を落とすことになる。

それから時は流れ、主人公である霧慧トァンはオトナになった。身体にWatchMeを宿して。この過保護な世界の安寧を影で支える螺旋監察官という要職に就いていた。

物語はそこから展開してゆく。

生きていること=痛み、苦しみ?

誰かの心を傷つけたり、傷つけられたりする。それがいつしか、未来人にとって羨望の対象になることがあると聞けば、あなたは戸惑うだろうか。

誰かを悲しませ、誰かに嫌悪を催させる。それらは「自然発生的な感情」がもたらす、副作用・副産物だったのだとしたら。

致し方ない痛みや苦しみはもっと崇高で、有り難いものなのだと感じられるようになるだろうか。

 

本書を読んでいて思ったのは、どうやら私は、行為の如何ではなく、誰がどういった理由でその行為に至ったかということを重要視してしまうようだ。

虐げられた人間がその復讐のために己の手を汚し働いた殺しと、私利私欲のために己の手を汚さず働いた殺しとでは、同じ殺しであっても、前者は同情の余地もあるが、後者にはないと考える。

 

御冷ミャハが叶えた世界は、私の目にはユートピアそのものに映った。

統治する人間もなく、ただ「ハーモニー(調和)」する世界が訪れるというのなら、私はその世界のほうがずっと健全で、自ら埋没したいとすら思った。