ふと思いつきで調べた心療内科への通院を決め、薬を飲み始めてからの身体と心と日常の変化と近況報告

どうも。お久しぶりです。uheyです。

待っている人がいるとは思えないけど、ブログを更新していなかった間のことを、ここに報告しておこうと思います。

本日をもって「変容」が現実になった、ということも併せて書こうと思っているので、

大嶋先生を検索してここにたどり着いた人にも、なにか参考になる、励みになることがあるかもしれませんので、よければお付き合い下さい。

その前に少し自分の話を。

 

最近はエネルギッシュに動き回っていたため、ブログの更新が疎かになり、

「もうブログやめようかな」という倦怠期に早くも(二度目の)突入しておりました。

 

今までに読んだ本や映画で、人にお勧めしたいと思えるもののストックはそれなりにあり、ネタがないわけではないのですが、

やはり文章としてまとめるとなると、その作品を一度読み直したり見返したりして改めて考察する必要があり、

そうでないと分量(文字数)もさることながら、自分の納得できる文章は書けない傾向にあるのです。

 

単純に本や映画を見る時間がなぜか減っているというのもあり、

それは何故だろうと考えてみると、そうでした。

 

僕はここ二週間、筋トレに目覚めておりました。

それも週四ペースで。

仕事はまだ日数を減らして出勤させてもらっているので、

普通の人からしたら、「仕事してないんだったらそれくらい通えるだろう」と思われるかもしれません。

ですが、いちおう仕事が終わってからジムに行った日もあります。

そしてそれは仕事終わりの疲労感よりも、筋トレをしたあとの疲労感は気持ちのいいもので、

仮に週5ペースの仕事に復帰したとしても、通い続ける自信があります。

 

二週間前の僕の口からは到底でてこない台詞ですが。

それは確実に、身体に変化が現れてきた結果です。

 

というのも、表題にあるように、心療内科に行って、薬をもらい飲み始めたのがきっかけでした。

「(心因性由来の)首の疲労がとれない」

もうほんとうに気持ちとしてはボロボロで、

整形外科を梯子して、レントゲンを撮り、CTスキャンしてもこれといった異常は見当たらず、

牽引とウォーターベッドをすると、小一時間はラクになるが、すぐに元に戻るという始末。

 

「(精神に作用する)薬に頼るのはやめておこう」

そんな勝手に出来上がったルールが自分のなかであったため、病院に行って薬をもらう、という選択肢はありませんでした。

ネット情報ですが、「薬に頼っていなきゃ、身体が動かない」という状態になってしまった人が少なからずいることに、不安を覚えていたからでもあります。

 

ところが、疲労の限界であったこともあり、(それにより無意識さんがはたらいた?)ふっと病院を調べてみる気になりました。

なるべくそう遠くない場所で、それなりに定評があり、自分の症状に近い人が通院しているような病院はなかろうかと。

調べていくと症状から推測するに、自分は「社会不安障害」かもしれない、とネットで調べた知識からそう判断しました。

どうやって調べていったのかはあまり覚えていないのですが、(おそらくここも無意識さんが手伝ってくれた)

気が付くと、いままでのキーワードでは調べても出てこなかった、一件の心療内科に行き当たりました。

レビューの数こそ多くはないものの、そのどちらもが自分の症状に近く、ラクになったというものだったので、

早速電話をかけてみました。(この段階で予感というか直感というか、当たりを引いた感覚があった)

しかし、以前どうしようもなくて、適当に調べて電話を掛けた心療科では、予約が二週間先しか空いてないといわれて、

「病んでいる人間がそんなにいるのか、というか二週間後なんて、、」と、予約も取らずじまいでした。

 

そんなことがあったので、今回も予約はずっと先になるだろうなと覚悟していたのですが、

意外にも二日後に予約を取ることができ、拍子抜け。

念のため症状をしどろもどろに話すと、

「わかりました。それでは、○月○日に予約お取りしておきますね」と優しく答えてくださいました。

 

受話器を置いた後、僕はある期待から、心に聞きました。

「心よ、僕はここの病院に行けば症状は緩和する?」

 

「緩和するというか、治る」

 

んな、あほな。

 

うん。とても都合のいい解釈。

希望的観測。

そのときは、「自分の意識で返した答えだ」と自らを嘲笑していました。(それでも抑えきれない期待に胸を膨らませてもいた)

 

でも、現にいま、症状が改善、というか

治りつつあるんですよね。

 

 

先生の診断はこうでした。

 

「おそらく職業病だと思うね」

「鬱の傾向もないし、社会不安障害でもない。病名はないかな」

「まだ若いんだから、運動とかストレッチをやったほうがいいですよ」

「とりあえず、不安を和らげるお薬、出しておきますね」

 

当然そのときの僕は、

「こんなにつらいのに、病名もないだと!?」

「おれ先生になんかしゃべったか?ほとんど話してないのに何がわかるんだよ!!!」

 

と心のなかでは憤っていました。

やっぱりあの心の声って、自分の捏造だったんだな、って。馬鹿みたい。

もうどん詰まりだな~、って自棄的な気持ちになりはじめていました。

 

だけど、とりあえず「医者にいわれたことを素直に実践してみよう」

「それで成果が出なければ、世捨て人となって厭世的な気持ちで生きるか死ぬかしよう」

と考えました。(短絡的)

 

そして薬の服用をはじめてはや二日。

気分がこれまでとは明らかに異なる。

妙に自分のなかでテンションが高い。

薬スゲー!けどなんか怖えー!

 

四日目には市営のジムに通い始める。

まるで人が違ったように、動ける。

まだその頃は首の違和感こそあまり変化はないものの、

気持ちがかるいので、アクションを起こすまでの間がない。

やろう、と思った時点で身体が動き出していた。

 

ジムに通いだして八回目にもなると、

あれ?積年の首の違和感が消えかけている………。

なん、だと………。

 

先生の言っていたことはどうやら本当だったようだ。

たしかに、よくよく考えてみると、

おれは痩せぎすだ。

身長175cm、体重は衝撃の48kg。

自己肯定感の低さは、この身体に現れていたのだ。

そんな当たり前のことに気付けないのも、自己肯定感が低かったからかもしれない。

 

ガリガリが太って筋肉をつけるのは、普通体型の人が筋肉をつけるよりも道は険しい。

それを知って、「これは体質なんだよ」「努力してまで筋肉をつけなくてもいいわ」と、

そんな諦めの気持ちとともに、それ以外でどうやって症状を治すか、ということを模索していた。甘ったれるな。

 

「選択肢を減らす」というのは、自己肯定感が低い人がやりがちな行為のひとつだと思う。

 

……なんだ、このスポコン精神のような一連の発言は。

筋肉マンが堂々としていたり、空疎な自信を身に付けているのがわかった気がする。

鍛えると頭が弱くなるようだ。これはラクだ。

 

もちろん、緊張由来の首の震えであるということもまた否定はできない。

ただそれが、本来であれば、筋肉で抑圧可能な震えだったのかもしれないということだ。

 

 

 

いままであまりはっきりとは書いてきませんでしたが、ここで話を整理しておくと、

僕は二年くらい前からずっと、首の(とくに左側)痛みやこわばりに悩まされていました。(ひどいときには震えだす)

いえ、首の症状に関しては中学生の頃から酷かったことを思い出します。

朝起きると激痛で、起き上がるのも苦痛、半泣きになりながら、起き上がるのさえやっとなので、学校に欠席を連絡。

その理由は「首痛」。

これが腰であればまだ同情は引けたのでしょうか。

「寝違えただけで学校を休むなんて…」

先生や友達にそう思われるのも無理もないかもしれません。

偏頭痛持ちでもあったため、(そして当時は偏頭痛と知らなかったので「頭が痛い」という理由で月一で休んでいた)

いつからか僕は陰で貧弱と呼ばれていたようです。

 

学生時代に比べれば、疲れが首にくることはあっても、あの絶望的な痛みを感じることはほとんどなくなりました。

(まあ、最初に仕事を長期間休みはじめたきっかけは、疲労からの首痛ではあったのですが。)

 

 

ところが、二年ほど前から、痛みとはまた別の、無視できないほどの首の違和感に悩まされはじめました。

でも本当によくよく考えてみると、僕は中学生の頃から、下手すると小学生の頃から、「周りを見る」という行為を慎んできたように思うのです。

「人様をジロジロ見てはいけない」「他人を詮索するのはいけない」

信仰心の篤い母から、神様のルールを子供の頃から聞かされていた僕は、あの頃から自然と、人を視界に入れないようにしていたような気がします。

 

その首の違和感というのは、なにもしていない状態であっても、違和感が拭えず、思うように動かせず、出先でもそんななので、買い物をするだけ、人ごみの中にいるだけでもコミュニケーションに支障をきたし、ストレスを感じていました。

相手は気にしていないようなレベルの話かもしれないですが、本人にとっては重要な問題なのです。

ようするにボディーランゲージの一つを失った状態で生活しているのです。

これは普通の人が考えているより、(というか考えたこともないでしょうが)深刻な問題です。

とくに「周りを見渡す」という行為は、「言葉を交わしあうことのない他者が、同じ空間にいるとき」には、必須の行動だと僕は思うのです。(挨拶、軽い会釈の代わりみたいなもの)

 

 

最近はよく、「私は○○なのです。こういう病状だってあるのです。変に思われるかもしれませんが、そんな症状もあるんだと知っておいてください。」といった類の、当事者の主張を見かけます。

 

ですが、僕は思うのです。

それは、あなただけじゃないよ、と。

きっとあなただって、いままで、いや、いまだって、

そんなことには露ほども気付かずに、誰かを傷つけているかもしれないよ、と。

 

僕たちが生きてる世界とは、そういうところだと思うのです。

無関心や無知から生まれる小さな暴力を、知らぬ間に行使している。

 

これは僕が長年、首の症状に悩まされ続けて、そのなかで実感したからこそ言えることなのですが。

「理解してくれ」なんて言おうとは思わない。

 

もちろん辛いです。

見ず知らずの人に、ただそこにいて、首が回せないだけで、誤解されたり拒絶されたような気に何度もなって落ち込んだし、

買い物のときだって、レジ打ちの店員さんと普通にやりとりがしたいのに、頭を頑として動かさなければ、誰だって訝りもするでしょう。

気の利いた事が言えれば、そんな空気も緩められたかもしれませんが、そのときは決まって頭が真っ白で、ふるえを抑えるのに必死で、とてもそんな余裕はありません。

おかげで、外に出るのが億劫になり、家と職場の往復だけで、気が付けば二十代の大半を終えていました。

 

だからといって、「どうして理解してくれないんだ」とは、周りに対して一度も思いませんでした。

だって、逆の立場だったら僕も理解できていないだろうから。

 

「なんであの人はわかってくれないんだ」「なんで配慮できないんだ」

そういった気持ちから、不特定多数の人への理解を求めることは、ただ自分を苦しめるだけだと思うのです。

少なくとも個人レベルでは。配慮や同情を求めてはいけない。それはいつからか、他者評価という依存につながるから。

(もちろん、前もって知らせておかないと命にかかわる場合は別です)

このことはなにも病気に限ったことではないと思います。

自分軸で生きようとすれば、自然と、「他人に理解を求める必要がない」と気付くものなのかもしれません。

 

もちろん僕自身は、そういう「他人からの理解や同情を得られにくい症状」の存在を知った以上、

できる範囲内での気配りや配慮、手助けはするつもりです。

このブログのコンセプトがそうですから。

ただし、自分が苦にならない範囲内で、です。

冷たいでしょうか?僕は無関心より随分マシだと思いますけどね。

 

主従関係のない、フラットな関係。

僕はそのスタンスでいられるからこそ、見ず知らずの誰かに自然と優しくなれて、自然に助けられる気がするのです。

 

 

 


 

そんなわけでいまはあれだけ悩まされていた症状が、どんどん薄れていっています。

しかも、これまで培った大嶋メソッドが、症状から解放されたことで、使うことができるようになり、視野が広がり、入ってくる情報量が変わり、

親との接し方、職場の人間関係の回し方、等、臆することなく自分を出せるようになってきました。

とくに、親との食事中の会話をどうやればいいのか?なんて悩んでいたのが嘘のように、

テキトーなことを言ってテキトーに笑って、それでも一体感のようなものを感じながらしゃべることができるようになりました。

「なーんだ、べつにテキトーでいいじゃん」と。

変だとか、子供の頃はそんな子じゃなかったとか、どうでもいいじゃん、と。

人は変わるんです。大人になるんです。成長するんです。

 

 

ここまで導いてくださったのは、大嶋先生の書籍はじめ、リベレスタのSさんのおかげだと思ってます。

感謝してもしきれない。

ここ一カ月はリベレスタカウンセリングは受けていないけど、それは頼らなくても大丈夫になってきたことの証拠でもあるのかな。

ちょっぴり寂しいですが。

症状が治ったら、報告のためにも一度予約させていただこうと思っている。笑

 

とはいえ、まだ安心はできません。

日によって調子がいい日悪いがあるのがこの症状だったからです。

もうしばらく様子を見つつ、完治したと感じられた暁には、

大嶋先生、リベレスタの先生、無意識さん(心)、占い師さん、心療内科の先生への感謝を盛大にぶちまけたいと思います。

 

そして細マッチョ目指して筋トレを続けていきます。(食事量も増量中)

一回の市営ジム利用は安いが、このペースだとスポーツジム契約したほうが安いことが判明したので乗り換えも検討。

もやしボディーは卒業する予定です。

 

大嶋先生の「出会ったときから、治療は始まってる」というお言葉が、何度も胸に蘇ってきます。

ここを読んでいるあなたも、読んでいるってことは必ず縁があるのだと思います。

悩んでいること、苦しんでいることがあると思いますが、大嶋メソッドに出会ったからにはもう大丈夫です。なんとかなります。

なんだかんだ、心はいつも見守ってくれてるみたいです。腐らず(腐ってもいい)がんばりましょう~