山口創『皮膚感覚から生まれる幸福: 心身が目覚めるタッチの力』オキシトシンの分泌!家族、恋人、友達と触れ合おう!人にやさしい社会は私たちで築いていける

とても興味深い本を見つけた。パラパラと立ち読みして、即買いした。

 

近年、ある界隈では、人間の五感における「触覚(皮膚感覚)」の持つ力を軽んじすぎではないか、という説が流れていた。

一時期、セックスにおける「スローセックス」なるものが流行の兆しを見せていたのも、こうした側面があったからかもしれない。

スローセックスとは、射精や絶頂を目的とした男性本位のセックスに対し、ゆっくり時間をかけ、男女が互いをいたわりながら肌を重ねる時間を楽しむ性行為である。

引用元:Wikipedia

だがそれは、男性にはあまり好まれなかったようだ。

なぜなら、インスタントセックスに慣れきってしまった肉体、及びおち〇ちんは、「そげなめんどうなことをしてまで女性に喜ばれるより、己の快楽が優先」とばかりに、流行になることはなく、兆し、だけで終息してしまったようだ。

 

初っ端からセックスの話を持ち出したが、本書はそうした単純な男女における「タッチ(エッチ)」のお話ではない。

同性、異性関係なく、コミュニケーションにおける、触れ合い。本書の言葉を借りるなら、「タッチ」しあうことの重要性を説いている。

「タッチ」すること。その単純な行為が実は、人間のポジティブ思考を生み出し、根源的な幸福度の変化にも深く関係しているというのだ。

 

先程から、タッチタッチと連呼してきたが、この「タッチ」というのは具体的には、「実際に肌と肌とが触れ合うこと」を指している。

ハグはもちろんだが、握手、ハイタッチ、背中や腕をさすったり、頭を撫でたり、肩を揉んだりなど多岐にわたる肌と肌の接触行為のことである。

 

私はこれまで、男性という性を生きてきたわけだが、自身の過去を振り返ってみても、男同士で肌が触れ合う機会というのは、非常に少なかった。(運動部に所属していたらまた違ったのかもしれないが)

仮に接触と呼べるものがあったとすれば、それは痛みを伴うものであり、悪ふざけからのパンチやらデコピンやら、そうした類のものであった。(そんなものは当然、適したタッチとは言えない)

 

営業職など、大事な取引先と商談を頻繁にする人たちは違うのかもしれないが、そうしたビジネスにおける人間関係、信頼関係を構築する職業でもない限り、日常的に握手を交わすことでさえ、男性同士の場合、稀な体験であろう。(ここでもまた、スポーツをする人はその範疇にないかもしれないが。というか、スポーツマンにポジティブマンが多いのはこの接触もひとつのキーワードになっているのかもしれない)

また、同性同士で、「相手のことを褒める」という行為も、女性と比較すると圧倒的にその頻度は少ないように思う。

いわゆる男社会と呼ばれるものが、なにか肩の凝る、息苦しいものであるのは、「気軽な触れ合いのなさ」にあるのかもしれない。

そして、その男社会の息苦しさをなんとか解消しようとすると、それが自分よりも立場の弱い(と潜在的に認識している)女性たちへと向かう。

年々悪化する不景気からくるストレス。それを解消する術を知らぬから、抑圧されているということにも自覚的になれない多くの男性は、その矛先を女性へと向けてしまうのかもしれない。

被害者にしてみれば、聞きたくもないことだろうが、多くの加害者には、隠れた被害者性というものを内在させていることが多い。

そうした問題を根本から解決していくためにも、家族間での「肌と肌の触れ合い」や、友達、恋人(ゆくゆくは隣人)との触れ合いが、とても大事なキーワードになっているのではないだろうか。

 

さらに、本書では「触れ合う」という観点から、この国の自殺の多さについても考察を重ねている。

イギリスのCAFというチャリティー団体は、「世界寄付指数」というアンケートをもとに統計を出しており、この指数は、次の三つの質問から成る。

  1. 人助け指数:面識のない人や、助けを求めていた見知らぬ人に手助けをしましたか?
  2. 寄付指数:宗教団体や政治団体、慈善団体等に寄付を行いましたか?
  3. ボランティア指数:ボランティアに時間を捧げましたか?

この指数から導き出されるのは、その国が「他人に対して温かい人が多いかどうか」ということだ。

日本は軒並み他国に比べて低いのだが、なかでも①の人助け指数は最悪だ。

日本は一三九ヵ国中、一三五位。これはワースト五位という結果だ。

本書にはそのグラフが掲載されているのだが、その差は一目瞭然。

隣人に冷たい、無関心な人間が多いのは、なんとなく暮らしていてもわかるのではないだろうか。

 

そして、自殺率と人助け指数には相関性がある、と筆者は説く。

人にやさしい社会であるほど、自殺率は低いのである。

人助け指数がワースト五位である日本では、

もしかすると、救えるはずの命なのに、

誰からも手を差し伸べられずに自殺に至ってしまう人が多いのではないだろうか。

自分自身を振り返ってみても、今日見知らぬ誰かに優しくしたかと聞かれれば、顔を背けるしかない。

もちろんそこには、事情がわからない、ということもある。

自分が首を突っ込んでいい問題なのか、とか。

だが、社会を変えたい、と願うなら、身近な人助けから、チャンスがあれば、勇気を出して、私はしたいと思う。

そういった意味においても、本書は背中を押してくれた。

 


 

本書の内容に話を戻すと、人間にはもともと「触れられること」そのものに対しては「快」の感覚が備わっている(ボトムアップ)のだけれども、本人の脳が不快を感じれば、それは逆効果になるという。(トップダウン)

とはいえ、スキンシップのもたらす効果は、脳が意識的に不快だと認識しない限りは、「身体自身は好意的に捉えている」ということに驚いた。

これはすごいことだ。

まさに肌は、触覚は、脳と遜色ないほど、それ自身で快・不快を感じる能力を備えているのだ。

 

また、触覚によるメンタライジングというのも驚いたと同時に、合点がいった。

下心のある接触は、このメンタライジングによってすぐに見抜かれるという。

 

それにしても面白いのが、本書を執筆している山口創という人は、『脳はだっこで育つ』『子供の「脳」は肌にある』『皮膚は「心」を持っていた!』などなど…。

大嶋メソッドを敬愛している者としては、とても目を引かれるタイトルの本をたくさん執筆しているようだ。

抱っこといえば、オキシトシン。

そう、この方は「オキシトシン」についての研究をしている臨床心理士なのであった。

オキシトシンといえば、母親の抱きしめホルモンとして有名な、幼少期における大切なものである。

 

大嶋メソッドではよく0~3歳児の間に、母親からあまり抱きしめられなかった子供は、このオキシトシンの分泌が上手くいかず、大人になっても人との信頼感や一体感を感じることができず、生きづらさを覚えるといわれている。

本書でも、まさにそのことについての記述がある。

(前略)つまりこの時期に母親からの愛情のこもった接触を受けると、脳内でオキシトシン細胞が増えると考えられる。

すると成人後にも、人を愛したり、人との親密な関係を築きやすくなる。

つまり、もうこれは、仮説などではなく、現代の科学でも証明されている事実なのだ。

恋というものがまったく始まらないのも、基本的に人を愛することができないからなのかもしれないなー。

だが、悲観するのはまだ早い。なぜならオキシトシンは大人になってからも分泌可能だからだ。

 

家族や親しい友人、恋人がいる人たちはぜひとも、いまよりもっと、たくさん触れ合ってほしい。

触れ合うことは、この閉塞的な社会をも変えうる力を持っている。と、本書を読み終えたいま、芯からそう思う。

 

 


 

 

ずっと疑問に思っていた。

本書を読んでいる間じゅう、「肌に触れること」について考えていて、たどり着いた。自分のなかに眠っていた疑問に。

なぜ、男は女性に触れるとき、ほとんどが性的なものなのだろうか。

よく「男はそういう生き物だから」「結局は動物の雄なのだ」という言葉でお茶を濁す。

でも違う。

女性に触れたいと思う。いや、べつにそれが男でもおれは構わない。

ただ、「人に触れたい、触れられたい」そんなときが、私に限らず、誰にでもあるのではないだろうか。

 

以前頻繁に利用していたデリヘルの女性たちとのピロートークで何気なくそんな会話になるときがあった。

お客さんのなかには「しなくていいから」と、ただ抱き合って会話を楽しむだけの人もいるという話を、少なくない女性の口から、ときたま聞いた。

 

そうなのだ。「男はそういう生き物だから」そんな言葉を隠れ蓑にしているだけで、本当はただ「抱きしめたい、抱きしめられたい」という根源的な欲求が、男にだって、あるはずなのだ。

しかしそれは、築き上げられた男性的な価値観で測ると、男らしくない、「女性的な、女々しいもの」として認識される。いや、認識されるかもしれないとただ、影に怯えているだけなのかもしれない。互いが互いの影に、怯えている。

男性が頻繁に女性の体を求めるのも、単なる性欲由来でセックスを求めているというより、私はそこに、ストレスの発散を求めているのではないか、と思うのだ。

 

近年、フェミニスト、フェミニズムという言葉を聞かない日はない。

それだけ声を上げる女性が増えたこともあるが、それは同時に、男性もまた、ストレスの限界に達しているのかもしれない。

どれだけ女性が声を上げ訴えようとも、加害者としての自覚がないままの男性も多い。

なぜならそれは、この問題を掘り下げていくと、根っこには男性の病理(被害者性)が隠れているからだ。

 

とはいえ、もちろん世の中には同性として腹の立つ男性のほうが多い。

とにかくマウントを取りたがるもの。本当にめんどうくさい。

そんなやつを擁護してやるのもなんだか癪だが。

けど根本から問題を解決していくためには、ここを考えないわけにはいかないような気がするのだ。

 

 

タイトルこそ『皮膚感覚から生まれる幸福』と銘打ってあるが、本書の落ち着くところは、「幸福になるため」ではない。

章の最後で語られる、筆者の考えには、いたく感動した。

西洋的な「幸福になるため」を追い求める生き方ではなく、「不幸せを感じない程度の幸せ」。

それこそが、触覚文化である日本人にとっての、本当の意味での幸せなのかもしれない。

そのヒントは、日常的な触れ合いの中に隠されている。