大嶋信頼『「ひとりで頑張る自分」を休ませる本』「いい人」をやめられない!自分は他人の気持ちがわかると半ば本気で思っており、苦しい思いをしている人におすすめの一冊

今回の大嶋書籍は、数ある本のなかでも個人的にベストファイブに入るほど自分にしっくりきた。

 

忘れていたわけではなかったが、私は小学生の頃から両親のご機嫌を取るのが当たり前だった。

父と母と姉と私の四人家族。一家団欒。この風景を壊してはいけないという思いがなぜかしら強かった。

記憶はおぼろげだが、両親が不仲であることに恐怖を感じていた気がする。

べつに直接的に親のあいだで暴力があったわけではない。

 

ただ、母と父の間に不穏な空気がいつも漂っていることは、子供ながらにいつも感じていた。

その不仲である大きな理由のひとつに、母が宗教に熱心だったということがある。

単純に父は、宗教のことをよく思わなかったし、それに子供たちは母と接するときと比べると、父にあまり懐いているとはいえなかった。

なにかちょっとした決定をするときにも、3対1という構図になることが珍しくなかった。

 

その教えは今世で幸せを手に入れるというよりは、来世少しでもいい生まれ変わりができるように、現世を修業の場と捉え、神様にお参りをして、感謝して、世のため人のためになることをする。

悪いことをすれば、神様はいつでもどこでも見ていて、バツ印でチェックをつけられ、それがあの世での生活レベルに影響するというものだった。

 

母は私が三歳の頃に、熱心だった母の姉に勧誘され、最初は乗り気でなかったが、いまではそれが彼女の生きがいといっても過言ではないほど、だんだんと熱心な信者になっていった。

 

私たち子供は「悪いことをしてはいけない」「利他愛、利他愛」と言い聞かせられて育った。

「悪人は地獄に落ちる」というのも常に言い聞かせられていた。

 

恐ろしかった。ようやく意識がはっきりとしてきた小学生という幼さで、「この世は修業の場であり、これからどんどん世の中は悪くなっていくラルロの嵐が吹き荒れる時代になる」と。

その荒波に巻き込まれないためにも、神様にお参りをしてお浄めをして少しでも身を浄めなければ救われないと言われて。

ある意味生まれたてである。これから人生の苦楽を味わいながら謳歌し、大人へと成長していくその前段階に、「この世ははじめから地獄なのです」と言われるようなものだ。

 

私はとくに「これからますます世の中は悪くなる」という言葉を真に受け、暗いニュースが流れるたびに、母が「ほら、おかしい人間が増えてきたでしょ…おそろしい…」と嘆くのを横で聞きながら、「ああ、ほんとうだ…」と青ざめたものである。

想像してみてほしい。もう、世の中が悪くなるのは決定していると聞かされた。そんな世の中で、小学生が「夢」や「希望」といった言葉に未来を感じることが果たしてできるのだろうか。

 

といって、宗教に熱心になったかといえばそうでもなく、ただ、母の機嫌を損ねない最低ラインで教えを守っていた。

 

ただ、「いい人」になることに関しては、人一倍敏感になっていった。

 

母と父の不仲に話を戻そう。

もともとの性質もあるのか、そうした宗教の教えも影響しているのかはわからないが、とにかく顔色を窺った。

「子供」という立場を思う存分使ってあるときは接着剤、またあるときは緩衝材、またあるときは潤滑油へと姿を変え、父と母の仲をなんとか取り持とうとした。

そして父、母、各々に対してもまた、そのような手段を講じた。

 

だが、それは失敗に終わった。父と母は離婚に至った。

 

「救えなかった」

そんなくやしさがあったのか、なかったのか。

それが関係しているのかいないのか。

そんなことはわからない。

 

ただ、「いい人」の呪縛は、このようにして形成されていった。

だけどほんとに思うのは、それをして報われたことなんか一度もないのに、繰り返してしまうということね。

母を見ていて、本当に不憫だと思う。

ここには書けないが、本当に、不幸に見舞われる人を絵に描いたような人なのだ。

そしてそんな母に、優しくできない自我を盛大にこじらせた自分。罪悪感。大人となった自分が孝行できていない不甲斐なさ。

 

べつにこんなことはよくあることなのかもしれない。

そんななかでも子供はそれなりに育ち、それなりに自立していくものなのかもしれない。我ながら貧弱で笑う。

 

それは甘えだ、という声も、おれは甘んじて受け入れよう。なにせ豆腐メンタルだから。

傷つく前に逃げるというのが得意技なので、傷つけられたことがない。それは認める。

 

この本を読んでいると、「いい人」をやめていいんだ、ということがわかる。

まだまだ親孝行さえできていないのに、それをするためには一度親不孝をする必要がある。まあ、それは母自身が感じる、という意味でだけど。

だが、そうすることが自分軸で生き、いつか訪れるかもしれない親孝行の機会に巡り合うためにも必要なプロセスなのかもしれない。

 

 

明日はついに大嶋先生の講演会だ。

なにか感じたことがあれば、ここに書くかもしれないし書かないかもしれない。

 

でもほんとに、なんだかんだ前進はしてるよな。

読書会主催、哲学カフェ主催。友達ができたり、人とのコミュニケーションの取り方を実地で学んでいる過程だったり。

変化は自分では気付けない。というのが大嶋メソッドでよく言われていることだけど。

周りから見たら、少しは変わっているのかもしれない。

 

ノートとペンを忘れずに持っていこう。