僕が過敏性腸症候群(IBS)になったワケ

自分がIBSを発症するきっかけとなったのは、

おそらくあの夏の出来事以降だろう。

ーあれは小学五年生のときだ。

 

テニスのO子様というアニメの影響を多大に受けたミーハー少年だった僕は、

当時住んでいた町の大型ショッピングモール、サ〇リブで買った、青学のジャンパー(クリソツなレプリカ、お値段なんとニーキュッパ!)を着て、

地元のジュニアテニススクールへと、せっせと自転車を漕いで通っていた。

 

その日も例のごとく、テニスのO子様の録画予約を済ませ、テニススクールへ向かう準備をしていた。

 

ただ、この日いつもと違っていたのは、

出発前、キンキンに冷えた(生協の)スポーツドリンク

越前リョーマよろしく、一気にがぶ飲みし、

颯爽と自転車にまたがり、テニススクールへと出かけて行ったことだ。

 

 

今にして思えば、

きっと、便意は黄信号で何度も何度も管制室の扉を叩いていたのだと思う。

 

どうしてあの頃は「出先でうんちをする

ということに、抵抗を覚えていたのだろうか。

 

しかし、年頃の男子という生き物は、

いじめのきっかけが「学校でうんちをしていたから」という不条理きわまりない理由で始まるものであり、

そのルールのなかで生存しなくてはならないのだ。

 

「学校なんて、長い人生からしたら大したことない」

そんなのは大人の戯言であり、子供の世界を生きている彼らにとっては、

少なくとも、いまそこで生きている現実の世界なのだ。

 

 

僕はもともとお腹が弱いタイプであったことから、

「同世代がいる場所では、なるべくうんちをしない」という誓いを立てていた。

 

きっとそんな心のブレーキが、尻から出そうになるものまでをも、

塞き止めていたのだろう。

 

テニス場に行くまでは良かった。

テニス場に着いたあともよかった。

 

雲行きが怪しくなってきたのは、ウォーミングアップを終えて、5分ほど身体を動かしたあとだった。

 

 

そこからは記憶が途切れがちになるのだが、

漏らした前後の記憶は、

胸の痛みを伴いながら、今でも鮮明に思い出すことができる。

 

 

まだ見ぬ世界へ 限界を越えて行きたい

体中でこの夢が あふれ出すまま

テニスの王子様オープニングテーマ

 

 

限界を超えてみたかったわけではなかった。

限界の手前で引き返しはじめた僕は、

「同世代のいうことなんか、でもねえ。糞くらえだ。」

そんな泣き言が、体中からあふれ出し、尻からもあふれそうになっていた。

 

それでも気力をふり絞り、

おぼろげながら記憶しているトイレのある場所へと、

両ひざをすり合わせながら、小股で、つま先立ちで、

一歩一歩、歩を進めていった。

 

「大は近いのに小は遠い」という昔からの体質が、

こんなとき仇になろうとは、小5の少年は思いもしなかった。

 

 

日本人のいったい何人の人間が、

大便器の前で果てる」という経験をしたことがあるだろうか。

そしてこの「大便器の前で果てる」という絶望を、

いったい何人の人間が理解できるというのだろうか。

 

 

水下痢だった。

腹は冷え、我慢に我慢を重ねた便は、原型をとどめていなかった。

 

お気に入りだったテニスシューズ

越前リョーマのパーソナルカラーであるがアクセントにあしらわれた、

純白のテニスシューズ。

 

フィラの帽子を目深に被りながら、

止めることのできない大粒の涙と、

消え入りそうな嗚咽を上げ、

ただただその場に立ち尽くすことしかできなかった。

 

その後の顛末

「捨てる神あれば拾う神あり」というのはどうやら本当のようで、

その現場を発見してくれたのは、さいわい、自分の父親と同世代くらいのおじさんだった。

いったい何分の間、その場に立ち尽くしていたのかはわからない。

突然「大丈夫?」と、背中から声をかけられた。

 

おそらく、「うえっ」とも「きたねっ」ともおじさんは言わなかった。

そんな悲惨な現場を目撃すれば、誰だって反射的にそんな声が出てもおかしくはなかったと思う。

そのくらい僕の便は、広範にわたってオーストラリア大陸を描いていた。

 

茫然自失、心ここにあらず状態だった僕は、この後の記憶をほとんど消し去っている。

思い出そうとすると、ソーラーパネルに反射された光のように、眩しくて直視することができない。

「とりあえずシャワー浴びようか」というおじさんのやさしい一言に促され、シャワー室で一人、入念に体を洗い流した。

そのときの僕は、「うんこと一緒に、この出来事も自分も排水溝に流してしまえたら」と、強く強く願っていた。

 

そして母に電話までしてくれて、迎えを呼んでくれた。

もしかしたら、あの床に散らばった便の掃除も、おじさんがしてくれたのかもしれない。

書いていていま思い出した。あの便はどうなったのか。

自分で掃除した記憶はない。それどころではなかったから。

 

いや、思い出した。母が来て、いっしょに掃除をした。

 

母に自分のクソの始末をさせる。

小学五年生の越前リョーマは

きっとそんなことをさせたことはなかっただろう。

 


 

あのときにあのおじさんでなくて、友達や不親切なおじさんに見つかっていたらと思うと、ゾっとする。間違いなく社会復帰できないほどのトラウマになっていただろう。

まあある意味、症状としてのトラウマを抱えてしまうことになるのだが。

 

 

そんなわけで、僕はこの日を境に、下痢型の過敏性腸症候群を患う人生を歩むことになった。