何者にもなれない私たちのノスタルジーが描かれた 台湾発おすすめアニメ映画『幸福路のチー』

予告

『幸福路のチー』昨日見てきた。

公式サイトのテキストを読んだだけで期待値が相当高まっていた。

にもかかわらず、きっとその期待を裏切らないだろうことは想像に難くなかった。

 

エンディングで流れる曲をBGMに、以下お付き合いいただければ幸いだ。

あらすじ

アメリカに暮らすチーは祖母が亡くなった知らせを受け、長らく疎遠にしていた故郷、幸福路に帰ってくる。記憶にあるのとはすっかり変わってしまった景色を前に、チーは人生、そして家族の意味を考え始める。子どもの頃の懐かしい思い出、老いていく親、大人になった自分。「あの日思い描いた未来に、私は今、立てている?」。実は人生の大きな岐路に立っていたチーは、幸福路である決断をする――。

抽象的ネタバレ考察(感想)

とにかくまず驚きなのが、この監督、この『幸福路のチー』がアニメーション初作品であり、この映画を撮るために自ら(周りのサポートはあれど)アニメーション映画スタジオまで立ち上げたという。

色彩、動き、台詞、ストーリー。どれをとっても非常にクオリティが高く、見るものを圧倒する。

だがそれもそのはず。やはり寄せ集めのクリエイター陣では統率を取るのにも苦労したようで、完成までに四年の歳月がかかっている。

別に私はアニメに明るいほうではないが、素人目にもわかる。いちおうアニメ大国日本で育ってきたわけで。

そうした数々のアニメとも違う、独自の世界観をものの見事に築き上げていた。異国情緒が漂う台湾という土地の、幸福路という実在する街の、空気まで感じられそうな気がした。

幼少期、現実と妄想の往来

個人的にすごく好きだったのは、子供時代のチーが現実から妄想の世界へと行き来するシーンで、妄想の世界では絵のタッチが変わる。輪郭のぼやけたふにゃふにゃほわほわした世界が好きだった。

私には残念ながら幼少期にそんなたくましい妄想力はなかったけれど、子供の頃は大なり小なりこのような空想世界を楽しんでいた大人も多いのではないだろうか。

優しい絵とは対照的なリアル

優しい絵とは裏腹に、いや、だからこそ厭味ったらしくなく歴史や差別といった現実が物語の日常のなかに散りばめられている。

普段アニメではしばしば政治や歴史、リアルを反映した社会というものは描かれない。

描かれるにしても、それを最初から観るものに提示する。

「これは、政治色の強いアニメですよ」

「これは、戦争もののアニメですよ」と。

 

しかし『幸福路のチー』は違う。

一貫したテーマは、チーという一人の女性が人生の岐路に立ち、祖母の死をきっかけに半生を振り返るなかで、自身や家族、故郷というものを見つめ直し、思い悩みながらも自分なりの人生を見つけていく、という一見するとありきたりなものだ。

だが、その隣にはいつも、世の中の動きがあった。

それは台湾というお国柄と言ってしまえばそれまでだが、本来であればそれが自然な形だと思う。

私たちの暮らしは常に社会や歴史、政治、差別、闘争とは無関係でいられるはずがなく、密接にかかわり合っている。

逆に何故、日本の作品にはそこを並行して描いた作品が生まれてこないのだろうか。

まあ、おれが知らんだけであるのかもしらんが。

世の常、世間の目

親の期待、世間の目、社会の風潮。そんなものに振り回されるのはいつの時代も変わらないのだろう。

当時の台湾では、「医者になれば安泰」「医者になれば親孝行者」という世の中であった。チーの両親や親戚も御多分に漏れず、そう願っていた。しかしチーは医者ではなく、社会の情勢を横目に「世の中を良くしたい」という思いから、将来お金にならない学問のほうに興味を抱き、祖母の後押しを受けて、医者の道を断念する。

子供の頃の夢を誰が嗤えるのか

とはいったものの、学生運動に明け暮れた大学時代。

気付けば学力は落ち込んでおり、周囲は海外への就職などが決まるなか、台湾のとある新聞社へ面接に行くと「大学名」と「イデオロギー」だけで即採用が決まった。

社会人になるや仕事に忙殺され、生きるためのお金に翻弄され、「世の中を良くしたい」という当初の漠然とした志は叶わぬ夢となった。

 

彼女はたしかに、学生運動に青春を投影していた部分もあったのかもしれない。

それでも、「世の中を良くしたい」という思いに偽りはなかっただろう。

誰しもこんなことは考えたことがあるのではないだろうか。

だが世の中はそう甘くない。大人になり社会に出るといつのまにか、生活を維持することだけでも大変だということに気付く。

私が良くしたいと思っていた世の中は、一体どこにあるのか。

それでも世の情勢だけは悪化したり平行線を辿ったりして、私たちの与り知らぬところで今日も何かが起きている。

そんなことが漠然とわかっていても、目を閉じて明日の仕事に備えるしかない。

何者にもなれなかった自分。その現実を知ってもなお、生活は続いていく。

こんなところにも、万国共通のノスタルジーが漂っている。

答えがない、からこそ

『幸福路のチー』は明確な答えを提示せずに幕が下りる。

それは幽霊となった祖母の「永遠に続く幸せなど、ないんだよ」という最後の台詞が、この先も続いていく人生というものが、どういったものなのか。それぞれの胸の内に、ほのめかすように語りかけてくる。