小野寺伝助『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』世界の最底辺から愛を叫ぶ パンク好きなら一度は読んでおきたいおすすめの本を紹介してくれるおすすめの本

タイトルからして、パンク好きの心をくすぐってくる。

クソという言葉は、なぜか心地よい。

おれもクソ、あいつもクソ、この世界もクソ。

あー、最高にキモチイイ。

 


 

本書は偶然、最近大阪で話題の本屋、toibooksさんのツイッターでの告知から知り、そのタイトルと表紙から即買いを決めたのだが、なんとこの本、どこにでも売っているわけではないのだ。

AMAZONなどの大手資本による流通は利用せず、なるべく個と個のやりとり、地下のネットワーク、独立資本によるローカルなお店などで販売できればと思っています。

というように、amazonや大型書店では販売しないという姿勢を取っている。

その理由は本書を読み進めれば自ずとわかってくる。

 

『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』は小野寺氏がこれまでに読んできた著作のなかから、彼がパンク的な要素を感じ取った本をピックアップして、テーマごとに分けて、見開き一頁につき一冊を紹介していく。

その本のジャンルは多岐にわたっており、小説から新書、エッセイ、自伝、経済などについて、あらゆる視点から、己のどうしようもない自尊心にはじまり、社会の問題にまで切り込んでいる。

 

正直、私にもパンクがなんなのか、ということははっきりと明言できない。

というより私の場合、退廃的な思考の末路として、偶然パンクに行き会った、という感じなのだ。

抱えたコンプレックスがひん曲がり、そうして己の自意識との闘いが長期戦に及ぶと、なぜかしら、己の問題はいつからか派生して、他人になり、集団になり、企業になり、社会になり、国になり、世界になっていた。

この過程は、もしかすると、パンクスに共通しているのかもしれない。

それはなにも、パンクロックを奏でるアーティストだけではない。

筆者も、パンクスが十人いれば、十通りのパンクが存在する、と述べている。

たとえば。

中産階級の家庭で育ちながらも社会にうまく適合できないクソ野郎。

まさに私のことではないか。

それなりに裕福で、なに不自由ないはずの家庭で育ってきたにも拘わらず、ひたすら逃げ続けてきた人生。

いつでも嫌になれば、その場から退散。

それが許される環境で成長してきた、生ぬるい温室育ち。

おかげでメンタルは豆腐。

大丈夫です。豆腐でも少なくとも27までは生きられるみたいです。

 

話が逸れたので元に戻すと、パンク好きに共通している点はいくつか考えられるが、そのひとつにお金への執着心のなさ、マネーファッカーてきな気質を併せ持っているという点ではないだろうか。

理由ははっきりせぬが、単純な消費に対する嫌悪感。(といいつつ突発的な散財をしたこともあるがそれはまた別の話)

まさに私も、反商業主義的なとこがあって、こうしてブログをやってるわりには、SEO対策には力を入れていないし、言葉のチョイスを大衆に寄せてまで検索上位に出したいとかいう欲望がない。欲望がないつーか、そういうのを嫌悪、格好悪い(体裁)と思っている人間なのだ。(ただめんどくさいというのもある)

そうすると必然的に儲からない。最初から競争する気がないのだから。

そう、争いごとが嫌なのだ。こわい。

人を騙して、自分を騙してまで儲けるという行為が、己の矜持に反するのだ。

とはいえ、この消費資本主義社会のなかで生きていくということは、大なり小なり、そうした汚いことに加担しなくては銭が稼げない、生きていかれないのだ。

 

そんなジレンマを抱えたパンクス諸君。

この本は少しでも、あなたの生き方の道しるべになるかもしれない。

それは欺瞞かもしれない。

それでも、なにもしないよりは、マシだ。

 

パンクは世の中を変える力を持っている。そんな可能性も、秘めているのではないか、と思わせてくれた。

 

早速、本書に載っていた『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』という本を購入し、これを読んでいるが、とても刺激的な一冊だ。

しかし残念ながら、『クソみたいな世界を生き抜くためのパンク的読書』のなかで述べられていることを一から十まで実践することは難しいだろう。

現に、『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』も、個人書店を数件回ったが見当たらず、結局大型書店で購入した。

その現実的な問題の解消こそ、我々がいっしょに考えていくべきことなのかもしれない。