【番外編】リベレスタカウンセリングで感じた変化まとめ

これまでお世話になったリベレスタカウンセリング。

変化、変化というけれど、具体的になにが変わったのか。

気になる人はいると思われる。

しかもその変化というのは、案外自分では気付けないもので、ふとしたときに「そういえば、これ変わったなあ」という感じで感じる、ぼんやりとした感じなのだ。

しかしそれも、そのことに気付いたときに書き留めておかないと、忘れてしまいそうな、一見とりとめのなさそうな変化なのだ。

というわけで、そんなすぐに記憶から消滅してしまいそうな変化を、これまで書き留めておいたのだ。

自分が変化したと思える部分を。その変化を認識できたときに。

なかには、「それって関係ある?」というようなものもカウントしてある。

ほかの生活要因によって変わった変化かもしれない。

だがそれもこの際、習慣が変わったという意味では治療によるおかげかもしれないのだ。

とくに私の場合は、FAP療法が治療の中心だった。(トラウマなどとは無縁だと思っていたのだが)

以下に紹介するのは、そんなFAP療法によって感じられた変化の一部だ。

電話恐怖症が治った?

電話恐怖症という言葉を使うのは大げさかもしれないが、電話を受けるのもかけるのも、いつからか苦手意識があった

それは個人の電話でもそうだ。歯医者の予約にはじまり、仕事の上司・先輩、同僚への電話。

何に焦っているのか自分でもよくわからないのだが、しどろもどろになることも多々あった。

もちろん、個人の電話でさえその調子なのだから、会社の一員として電話を受けるときはなおさらだ。

名を名乗ることへの恐れや、もし粗相をしてしまったらどうしよう、もし、私の粗相が原因で、「責任者を出せ!」と言われる展開になったら、誰を呼べばいいのか、部長なんか呼べない、やっぱここは課長か?でもでもでも…というかそんな事態になることってある??という不安から(なのかどうかさえ自分でもよくわからない正体不明の不安から)なるだけ会社の電話を取りたくないのだ。

休憩時間。多くの人が集団で席を外すとき、「電話くん、鳴らないでくれると、うれしいなあ、でもまあ、鳴ってくれてもいいんだけどね、てか、あんまり気にすると鳴りそうな気がするので、やっぱ気にしなくていいよ、でも、なるべく、ちょっとは配慮してくれるとありがたいですう~(心の小声)」と何度唱えたかしれない。

そんな電話への謎の恐れから、近頃解放されはじめている自分がいるのだ。

個人的な用件の電話に限っていえば、もう完全にといっていいほど、恐怖心がなく、落ち着いて対応できるようになった。

会社の電話は、最近あまり出る機会がないのでわからないが、以前ほどの恐怖心が和らいでいるような気がする。いや、やっぱこれはまだちょっと怖いかも。なんか、どこかから圧力を感じる。

ほかの人が近くで電話に出ているときに自分も電話で話すっていう行為の難しさよ。(頭わちゃー、なる)

この電話恐怖に関しては、とくに治療目的に挙げたわけではなかった。なんとなく気恥ずかしいのと、そのことを自身で認識したくないという気持ちが相俟って、カウンセラーさんにも伝えたことはなかった。

それでも、個人的な電話に関しては完全に克服したので、これは変化である。

外出が増えた(実家にいるのが苦痛になった)

「なんだそれは」と言われそうな変化だが、待ってほしい

私にとっていままでの外出という行為は、荒れ狂う海の中へと身を投じるダイビングと一緒なのだ。

海に潜るために必要な道具を確認し、酸素ボンベの数値が無くなる前に、陸(自宅)に帰らなくてはいけない。そんなサバイバル的な要因のある、敷居の高い行動だったのだ。

それは今となってそう思えるのであって、これまではそれが普通だと思っていた。

私の母親などはこのあいだ、帰宅後早々「ぷはあ、もうこんな時間っ、今日は九時間も外出してしまったわっ!」などという言葉を発していた。

そう、我が家(母)における内と外という概念は、陸と海の関係であった。

外は荒れ狂う海原であり、ときには命を落とすこともあるほどの危険を伴う場所なのである。

陸(家)は安心安全の象徴。外の世界は恐ろしく獰猛な生き物の宝庫であり、夜に出歩く(ダイブする)なんてマネをすることは、ホオジロザメの餌食になることと同義なのだ。

そんな母のもとで育てられた私は、いつしかその恐ろしい幻想の物語を信じるまでもなく信じ込んでいたのだ。

 

だが、世界は平坦だった。地続きだった。内から外に出ることには、酸素ボンベも必要なければ、清水の舞台から飛び降りる覚悟も必要なかったのだ。

あんた、最近よお、外出るね

不機嫌な顔を隠しもせず、そう尋ねてくる母。

よお外で何時間も時間潰せること

皮肉を込めて、あきらかな嫌味を言ってくる母。

リビングの横の寝室から、帰宅確認をしてくる母。

これがほんとの、リビングデッドの呼び声か、、!」などと心で軽くあしらい、「あ、うん」という生返事をする。

ワレは27のオッサンなりよ?

それでも日をまたいで帰ることは年に二度もないし、帰宅が遅くなるときはほぼ必ずママンに連絡している。

なにが不満なのか。

母の信じる神を、私が信じなくなった(子供の頃は信じたふりをしていないと怖かった)からだろうか。

話しが横道に逸れてしまったが、とりま、外出が増えたのはたしかである。

もちろんこれまで育ててくれたことには感謝している。

ではその恩返しをするために私は生まれてきたのだろうか。母の信じる神を信じることで。

 

母が信じるならそれでいい。これまで神様に費やしてきた膨大な時間を思えば、冷たいことはいえない。言えるわけがない。

そのブレーキのせいなのか、私は実家にいても母との会話がほとんどない。

向こうから話かけてはくるのだが、なぜか言葉に詰まる。

返しても、「ぼそぼそ言ってわからん」と言われる。

そうまでして、成立させるほどの会話ではない。なぜ自宅にいてまで気を遣わなくてはならないのか。

ふう。宗教というやつは、「幸福が手に入る」ことを受け売りにしているくせに、子供には間違いなく不幸をもたらしてることを悟れよ。

騙された大人もかわいそうだけど、抵抗できない子供はなおさらだよ。

……フットワークが軽くなった、というお話でした。

お洒落スキルが上がった!!

これはたったいま、今日美容室で、はたと思い至ったことだったのだが。

実は先月、髪を染めた

な、なんだ、この、血で染めたみたいな感じは…。赤文字で書くとホラー感出て気持ち悪りぃな、、

それはさておき、そう。生まれて初めて、髪を染めたのだ。

「それがなんだ」と言われそうだが、これまで私は、バージンを貫いてきた。

バージンロード
この道ずっとゆけば
あの街につづいてる 気がする

私の高校時代は特殊な学校だったため校則がなく、髪染めピアスなんでもありの高校だった。

そのため、「髪染めてみようかな」と思い、母になにげなく「髪染めてみよっかな~」といったが最後、「は?なん言いよると、まだ早い」のひとことで撃沈。

それから私は「髪を染めてはいけない」ということがこの人生における、ひとつのルールだと思い込んでいた。不思議な話である。

私はどうやら、子供の頃(高校時代含む)から『一度「ダメ」と言われたことは、もう二度としない、してはいけないことだ』という謎ルールが自分のなかで出来上がってしまう体質のようだ。

それをつい最近まで忠実に守っていたのだ。

これを簡単に言い換えるなら、「ママに言われたから、僕、童貞なんです。

そんなことがあっていいのでしょうか。

 

母の反応はもちろんあまり芳しいものではなかったが、複数の美容師さんには「とても似合ってます!」と、お愛想ではなさそうな反応で何度も言われた。

お洒落になったかどうかはさておき、その髪染めは一例でしかない。

たとえば、着るものへの抵抗がなくなった。

いままでは「こんな服自分が着てもな、、」という思いから、人には「絶対似合うって!」といわれても着られなかったチェスターコートをいつからか、なんなく着こなしている。(こなしているかはわからない)

みなぎる自信が装飾品に表れてきているのでしょう。

物の扱いが少し雑になった!

これまで私は几帳面であった。

いまもそれに変わりはないが、すこしばかり物の扱いが適度に雑になっていることに気が付いた。

これまで、スマホを取り落とした回数というものが、もしカウントされているのなら、ぶっちぎりで優勝である。なぜなら、取り落とすことが、年に1~2回あるかないかなのだ。

 

だが、最近、昔に比べて、よく壁に肩をぶつける、ものを取り落とす、コーヒーカップの置き方が雑、になった。

変な話だが、これがちょっと嬉しい

大嶋メソッドを知っている人なら、この真意がわかるのではないだろうか。

小さなことが、気にならなくなっている。

これは意識でどうこうできるものではない。感謝、感謝である。

性欲が並みになった

お恥ずかしい話をしよう。

私はここ数年、性欲が尋常ではなかった。

一日一回の自慰はあたりまえ。

日に二回という猿並みの性欲があった。

 

もちろん、「なんで自慰なの?」という質問はご法度である。

相手がいないからである。異常。あ、じゃない、以上。

 

仕事でいくら疲れて帰ってこようが、ベッドに寝転がるなり、「いつもお世話になっている贔屓のサイト」を徘徊し、気が付くと手が勝手に…状態なのである。

ここで少し弁解させていただきたいのだが、

その自慰行為には、はっきりいって「ほとんど快楽が伴わない」のだ。

男の世界では知られていることなのだが、精液を出すという行為は、「溜めれば溜めるほど使える、ポイントカードのようなもの」なのである。

一日一度のペースでやっていると、その快感は大したものではなくなってゆく。

はっきりいって、全然気持ちよくない

しかも相手は自分の「手」である。

辞書を引くと「手淫」と出てくる、あれである。

もはや、苦行である。完全にストレス発散の手段である。心なしか、心臓が痛むときもあった。

 

いまはその性欲のことを、すっかり忘れている

そんなことよりやりたいことがあって、文字通り手が回らない。

昨日もしてない。一昨日は…した

ホルモンの関係?口ひげあごひげに抑毛効果?

鏡を見ている。

ふーむ、今日もなかなか…。

伝えたいのはそんなことではない。

ここ最近になって気付いたのだが、朝の髭剃りが各段にラクになっているのだ。

これは、どうしたことだろう…。

つい三ヶ月ほど前は、朝剃ったはずの髭が、夕方帰宅すると、もう「こんにちは」しているのである。いや、正確には「こんばんは」だな。

それも、黒くてまあまあ濃いめなやつが、である。

それがなんと、ここ最近は、朝剃ってから翌朝鏡を見てもそれほど伸びていないのである。なんで?

もちろんそれでも剃らなければ気になるくらいには生えているが、これは嬉しい誤算。

髭剃りの刃というのは、意外に高額なのである。

硬質な、それなりに量のある毛を毎日剃っていれば、それだけ刃の寿命は短くなるというもの。

まさか、FAP療法に節約効果があったとは。←

というのは冗談だが、伸び率に変化が訪れていることは間違いのない事実だ。

それがFAP療法によるものなのかどうかまでは判断のしようがないけれども、大嶋メソッドとホルモンは切っても切れない関係なので、もしかしたらそんなこともあるのかなあ、と思った次第である。

まとめ

とても参考になるとは思えないが、これが私が感じたリベレスタカウンセリング(FAP療法)による些細な変化の一部である。

また気付いたことがあれば、随時更新していくつもりだ。