【「死にたい」「助けて」と思ったら】つながらないいのちの電話にかけるより『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』という本を読んでみて

本を読んだきっかけ

私はたしか22歳くらいのときに坂口恭平さんを知って、新書『現実脱出論』、小説『徘徊タクシー』と二冊続けて読んだ。

 

坂口さんの本を読もうと思ったきっかけはツイッターでのつぶやきだった。

いまではもう細かい部分までは思い出せないけど、たしか自殺する人がどうして自殺に至ってしまうのかについての考えが書かれた一連のツイートだった気がする。

その言葉は、なんというか、あまり見たことのない語り口というか、人とは違う経験をしていないと生まれてこないであろう言葉というか。当時はまったくそんなこと考えてはいなかったと思うが、ただその言葉たちの妙な心地のよさになんとなく惹かれたのだと思う。

そっからチラチラツイッターを見るようになって、どうやらこの人は躁鬱病者で、そっから躁鬱病っていう言葉とそれがどんなものかを知った。

 

正直、当時読んだその二冊からはそのよさがツイッターのわかりやすい言葉とは違って、わからなかった。(私が未熟だった)

なにか突飛なことをいう人だなあ、という印象を抱いたまま、現在まで時は流れた。

死にたい人と通話する「いのっちの電話」

坂口さんは、自殺寸前で「やばい」と思った人がかけていいことになっている「いのっちの電話」なるものを無償でやっていて、ツイッターに電話番号が載っている。

 

22歳当時の私は「死にたくなる」「死にたい」と口癖のように(ネットで)言っていたけれど、いま思い返してみればあれは遅れた思春期のソレだっただけだと思う。

自分が好きなものを見つけるたびに、届きそうにないほど洗練された文章だったり思考だったり。

それを眺めて自分が惨めになって、「こんなふうになれないなら、自分なんか存在していたくない」というような。(いまも時々あるけど)

 

でもこの坂口さん自身と、いのっちの電話にかけてくる人やツイッターを取り巻く人たちは違う。

本当の意味で「死のうかどうか」迷い、闘っている人たちだ。(そこにまた変な嫉妬心がいまもまだ湧くのだけれど。)

 

この『まとまらない人』にも、いのっちの電話でのやりとりが掲載されているが、この物語の美しさったら、ない。(「物語」というのは比喩で、現実のことなんだけど、「物語」と形容したくなるほどにその一連の流れと顛末が美しい。このやりとりの美しさは「べてるの家」の向谷地生良さんとも通じるものを感じる)

たった数行なんだけど、思わず感動してしまう。

坂口恭平という人

坂口さんはひとつのことに集中できない。いや、集中力は人間離れしているかもしれない。

厳密に言うと「手に職をつけられない人」なのだ。

一個の職業で食っていくことができない。ひとつのことに集中しようとすると鬱が襲ってくる。

だから当然会社勤めなどできない。

 

でもめちゃくちゃ器用。絵を描くは、歌は作るわ、小説を書くわ、革靴は作るわ、セーターを編むは、いまはアコースティックギター作ってる。(かといって芸術家や職人として何かを極めることはできない。一個に集中すると再び鬱が襲ってくるから。)

医術家でもある

精神科医が坂口さんのいのっちの電話番号を患者さんに渡した、というくらいだから、医者も認める手腕。

ツイッターでもよく、「いのっちの電話」のやりとりの一部始終をのっけてるんだけど、あれは読むだけでこっちも救われるのよね。美しい瞬間に立ち会えたというか。

出産する場所に立ち会えた喜び、というものを経験したことがないから知らないけど、想像でいうところのそんな感じ。その逆だよね。

死を選ぼうとした人間がとりあえず生きることを選択した瞬間に立ち会えた喜び、みたいな。

生まれておめでとう。みたいな。

だから医術家でもあるよね。本人も自称してた。

もう声聞くだけでわかっちゃうんだって。

この人がどのくらい切羽詰まってるかとか、それだけじゃなくて、その人の家族構成、親兄弟姉妹との関係から恋人の有無、仕事はどういう系でいまどういう状況に苦しんでいるのかとか。

勘がいいというのもあるだろうけど、膨大な数の電話に出てるから、データベース化されてるらしい。いうなればAI。

これまでに希死念慮に駆られた一万五千人の人と会話して、多くの人を死から遠ざけてきた。(たった一人救えなかった人を除いては)

一日に3~4件かかってくるらしいけど、それを八年続けてる。

 

四歳のときに砂の声が聞こえていたと言ってた。その言葉を「ふーん」と疑いもなく思えるのが坂口恭平という人。

現実さんとかアキンドくんとか

大嶋先生の著作を読んでる人なら馴染みがあると思うけど、こういう事象とかに「くん」とか「ちゃん」とか「さん」とかつけてるのもシンパシー湧くのよね。

坂口さんの本にも出てくる。

なんだろねこれ、急に親近感湧いてくる感じ。そこまでヤなやつじゃないのかも?みたいな。

トラウマちゃんとかね。

 

けっこう今回まとまりなく文章を書いた。

なんか、坂口さんの文体が乗り移ってる感じ。

なんだろ、この本から得て、伝えたいことがありすぎるけど、自分には到底言語化できないから、思いつくままに書いた、って感じ。

 

基本的にタイトルにもあるように、「坂口恭平が語る坂口恭平」なので、自伝的要素は多めだが、その生き方から学ぶところは多い。し、巻末のほうでは現代を生きる「苦しい苦しい」って言ってる人たちの救いになるような言葉がかけられる。

さいごに

しょせん、「才能があるからできるんでしょ?」と私も思ってた。

結局、天才肌なんだから、うまく生きられてる。って。

でも、どうやらそれも違う、って書いてある。

それは、本を読んでね。

全部読むのが億劫な人は、七章の『つくれ、抵抗せよ』っていう部分だけでも読むといい。

 

でも、みんなやってたんだよ、ほんとは。

ちっちゃい頃を考えてみたら、歌って、踊って、絵描いて、ってことをずっとやってたはずでしょ。

ところがみんな少しずつやらなくなる。やらなくなるっていうよりも、いつのまにかできなくさせられていく。

それが僕は気になってしょうがない。

 

坂口さんは、手を動かせ、足を動かせ、って言ってる。それが現実を揺さぶる、もうひとつの現実を生きるための簡単な抵抗、試み。

 

 

もう一回読み直してインプットして、自分も書くことから始めようとおもう。(ほんとはノート買って誰にも見せない日記書いてたんだけど、最近またやらなくなったから再会しなきゃ)

 


「冬にわかれて」のライブで再び坂口さんに興味を持てたことに感謝。