映画『ミスティックリバー』衝撃的オチも吹っ飛ぶまさかの展開 恋愛映画以外で「愛」について知るとは…

映画というものの素晴らしいところは、感想の自由さ、多様性にあると思っているが、

『ミスティックリバー』はまさにそれがあてはまる映画ではないだろうか。

見る人によってまったく感想が異なり、好き嫌いがはっきり分かれる作品のひとつだ。

この映画に嫌悪感を覚える人の気持ちは、わからなくもない。

 

これまでに僕はこの『ミスティックリバーを三度視聴してきた。

一度目、二度目と回を重ねるごとに、当初の感想とは随分異なってきた。

否、いまにして思えば一度目の視聴の途中から、すでにこの映画に対する見方は何度も変化していた。

今では指折りのお気に入り映画のひとつだ。

やはり、人間の繊細な心を扱った映画が僕は好きだ。

あらすじ

幼馴染であるジミー、デイブ、ショーンの3人はある日、いつものように路上で遊んでいたが、ボールを側溝に落としてしまう。

白けたジミーが軽いイタズラを思いつき、まだ乾いていないセメントに自分の名前を落書きする。

それに倣って、ショーン、デイブと落書きをしていると、警官風の男に咎められてしまう。

「親に言いつける」と脅されたデイブは一人、そのまま車で連れ去られ、後の少年誘拐事件の被害者として深く心に傷を負ってしまう。

 

この一連の出来事が、数十年後に引き起こされる事件によって、彼らに再び暗い影を落とす。

 

「誰に自分を投影するのか」

この映画を見ている者は、常にそれを考えずにはいられない。

「殺された娘を持つ父への同情」か、

「少年時代の悲しい事件で傷を負った男への同情」か。

 

正義というものさしで図ることを許さない展開が、次第に視聴者を翻弄していく。

そしてエンドロールを迎える頃、僕たちは答えのない問いの前へと放り出されることになる。

 

ネタバレ感想(考察)

人間にはタイプがあると思う。

この映画の焦点は、もちろん幼馴染であるジミー、デイブ、ショーンの3人になる。

子供時代の場面から憶測で読み取れることは、その性格や暮らしぶりだ。

一人ずつ見ていこう。

 

ジミーはとても気が強そうだ。常に何かを睨みつけているようなその相貌。

警官風の男に落書きを咎められても、一度口答えしているところからも、気の強さが窺える。

ちなみに服装は革ジャン。

 

続いてデイブ。ごく普通の少年とでも形容すべきか。

根は真面目で、問い詰められると嘘は付けないタイプ。

結果的にその正直さゆえ、彼が連れ去られることになる。

ちなみに服装は三人のなかでは一番平凡。

 

最後にショーン。

僕は正直このエリートタイプが恨めしい。

それが僻みからくるものだということは否定しない。

もちろんその地位を築けるのは、本人の賢さもあるだろう。だが、最終的にはその「強運」のおかげのような気もするのだ。

生まれたときから恵まれた環境にあり、そして何故かいつでも運が味方する。

「遊んでいた場所がたまたま家の前だった」というだけで、事なきを得たのだ。

それは大人になっても変わらない。ショーンだけが終始、安全圏にいたような気がする。

子供時代はガキのくせにパーマをかけていた。おそらく家が金持ち。

 

こうした人間のタイプというものは、現実に存在しているように思う。

デイブが被害者になってしまったのは、偶然ではないだろう。

「正直者が馬鹿を見る」

そんなことはない、と強く否定できるだろうか。

この世界で上手くやるには、ある種の狡猾さがなければいけないのは事実なのだ。

 

 

デイブは終始孤独との闘いだった。誤解の連続。

唯一味方であるはずの妻にさえ疑われる始末。

だが彼の妻が疑い怯えるのも無理はない。

少年時代の恐怖によって記憶が錯綜し、言動に解離が生じているデイブの姿は、

一見、猟奇的殺人者のそれと重なってしまう。

 

終盤でジミーに脅されて出た台詞は、ある部分で真実であり、

少年時代の三人が抱えていた蟠りでもあったのだろう。

 

 

ジミーは結果的にデイブを川に沈めてしまうが、デイブに罪はなかったと判明する。

自責の念にかられるジミーに声をかけた妻の台詞が印象的すぎて、

これまでの展開の衝撃的なオチが霞むほど、すべて吹き飛んだ。

パパは王様なの

王様はそれがどんなに難しくても、必ずする

愛する者のためなら何でもする

それが大切なのよ

だってみんな弱いけど 私たちは違う

私たちは弱くない

あなたはこの町の支配者なの

おそらく多くの人は、ここに強く嫌悪感を示したのではないだろうか。

「なんて残酷な女だ」と。

「罪のない人間を殺しておいて、開き直るのか」と。

僕も同意見だ。しかしそれは、デイブの側から見た場合、だ。

 

僕は同時に、それを欲しいと思っていた。喉から手がでるほど。強烈に。

その他人に対して圧倒的に無慈悲で、残酷で、世間的には許されない行為でさえ、

ただあなたとわたしという個人的つながりだけで、すべてを信じ、赦してくれるその存在が、そのが。

 

これまで、臆面もなく愛について語る歌や映画やドラマなど、たくさんあったが、

僕の中で愛について納得させられるものに出会ったことがなかった。

しかし今ならわかる。僕にとっては、これが愛だと。

 

道義的な正しさなどではかるのではなく、愛する者を守るために命を賭して、隣人に嘘もつくし、悪魔にもなる。

究極の愛がそこにあった。

 

近しいものたちの幸せ、それがたとえ誰かの血が流れた結果生まれた副産物だとしても、それを騙し騙し享受して生きている。

社会のなかで培われていった倫理という枠に収まりきらない、生々しい人間の世界を垣間見たような気がした。