【追う女と追われる男の心理】苦労する恋愛しかできない理由はあなたの自尊心が低いから 恋愛指南書にとどまらない人生の心理カウンセリング本だった

二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』

今回おすすめする本は二村ヒトシ著、『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』だ。

ある日、自身がツイッターで「愛を勉強するためのおすすめの本はないですか?」と誰に問うでもなく呟くと、優しいフォロワーさんからいくつかの反応があった。

お一方は

  • エーリッヒ・フロム『愛するということ』
  • マルティン・ブーバー『我と汝』

の二冊を。

そしてもう一方は

  • エーリッヒ・フロム『愛するということ』
  • 二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』

の二冊をおすすめしてくださったのであった。

今回はまず後者の、長崎にお店を構える本屋さん「バタエフェ」こと「Book with Sofa Butterfly Effect(ブックウィズソファーバタフライエフェクト)」の店主さんがセレクトしてくださった「愛を学ぶためのプロセス」を参考にした。

店主の古屋さん曰く、

はじめにフロムの『愛するということ』を要約した下記のサイトを読むこと。

次にフロムの『愛するということ 新訳版』を読むこと。

そして最後に、今回紹介する本『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読むという三段階を経ることをおすすめします、ということだった。

 

ううむ。フロムの『愛するということ』というのは哲学書に分類されるのではないか。これはメンドクサイ。←

だが、それもそのはず。愛というものの正体がそんな簡単にわかってたまるものですか、というのは必定で、これでも随分ラクな方法だよなあと思った。

だが、おすすめされたそのときには読む気が起こらず、とりあえずメモだけして、時が熟すのを待った。

そして時は来た。

愛とは?愛ってなに?哲学?

ここでまず読者の皆様はひとつの疑問を持たれていることだろう。

そう、なぜ私が「愛の正体について知りたい」と思ったのか、(というより、「愛」ってなんやねん?という漠とした疑問を抱いておられることだろう)

なのでまずはその疑問にお答えしたい。

 

「愛」とはなにか。もちろん不明である

はじめに断っておきたいのは、なにも哲学的で普遍的な「愛」という概念について小難しいことを考えたいわけではない

おそらく皆一様に、一度は考えたことのある疑問、「なんでこんなに恋愛うまくいかんかなあ」とか「なんで地雷みたいな人に好かれる(惹かれる)んやろうか」とか、そもそも「なんで恋愛に発展せんのやああああ!」といったごくごく平凡な悩みである。

ではそこへ来てなぜ「愛」を紐解きたいと思い至ったのかというと、それには一応理由がある。

一連の本を読む前まで私が思い描いていた「愛」とは、「自分がそれをできていない」という自覚に由来する。(それを仮に愛と呼ぶなら、だが)

これまで親しくなった決して多くはない異性とのやり取りを省みる。するとなぜか好きであるはずの相手や(好きではないけど)好意的にしてくれる(ある意味で鬱陶しい)異性に対して、冷たい態度を取ってしまう。それは大きなことから小さなことまで。平気で相手を傷付けていたこともあった。(そのときはそれが相手を傷付けているということは自覚すらできていなかったのだが…)

本書を読んでいると私はかつて、「隠れヤリチン」であったことを自覚せざるを得なくなった。積極性のない、アクティブではない、だが確実に地雷要素のある、「アリジゴクヤリチン」である。(これらのネーミングは本書に掲載されていたわけではない)

どうして自分は優しくできないのか。

そこにこそ三年間もの間、どれだけ自分磨きを頑張ろうとも、恋愛が成就しない(恋人ができない)理由が隠れているような気がしていたのである。

ここでよくある「出会いの場に行かないからだよ」とか有難い御託を並べてくれる連中の幻聴が聴こえてくる。こだまでしょうか。いいえ、誰でも。

体目的で付き合いたいわけじゃないのに…

カラダ目的ではない真面目なお付き合いを求めてマッチングアプリに登録し、入念に詐欺と本物の中間を行く映える写真選びと女友達に添削してもらったプロフィール文を掲載して、何人かの人とマッチングし出会いの場には幾度も繰り出した

だが、「付き合う」というところまではなにをどうしたって行かないのである。

これは自分がおかしいんとちゃうん?

そんな疑惑と不安と焦燥が頭をもたげ、そもそもの自分という存在が人間でないような、価値のない人間のような気さえしてきたのだ。

「恋愛できない人間は、人間じゃない」

普通に考えたらまともとは言えない考え方かもしれないが、意外とこうした強迫観念を抱いている男女は昨今少なくないのではないだろうか。

街で見かける仲睦まじ(そうに見える)カップル。どうして私は、こんなふうにみんなが普通にやっていることができないのだろうか。そこに自分の欠陥を無理矢理にでも見い出してしまうのは不自然なことではないはずだ。

 

これは恋愛に限らず、自分の生きづらさにも拘わってくる問題へと肥大してしまっていたので、なんとかせなあかんと思い、「愛を学ぼう」と思ったわけである。

追う女と追われる男の心理。苦労する恋愛のその理由

それがまさか、他人を愛せる(愛されるのではなく)ようになるための修練を磨く方法だけでなく、なぜ人を愛することができないのか(恋愛が上手くいかないのか)を、社会的要因、商業主義的要因、性差の問題などを絡めながら、それらを論理的に(けれども分かり易い言葉で)説明してくれている。(これらの結論が導き出されたのは、今回バタエフェさんにおすすめしてもらったフロムと二村ヒトシの本を併読した結果でもある)

二村ヒトシの本に書かれてあった結論を述べるとそれはみな、「心の穴」に起因しているのだと説く。

そしてその心の穴は、人間であることの証であり、塞ぐ必要などなく、ただ「このままの自分」を自ら認め、「このままでもいいよ」と受け入れてあげること。ただそれだけのこと、だけど困難なこと、それを本書では「自己受容」という言葉で教え諭してくれる。

とまあ、私が説明したところで陳腐な言葉にしかならないから、とにかく本書を読んでほしい。

本当に本当に学ぶところの多い一連の読書体験であった。

女性におすすめ恋愛指南書はこの一冊

それも読み終わる頃には、確実に、少しではあるかもしれないが、変化の尻尾を掴んだ、という確信は持てている。いま、私の心は凪いでいる。現在カフェで執筆中だが、周囲を取り巻くカップルを視界に入れても痛くない。感情が揺らがない。これは恋愛指南書というカテゴリーに収まりきらない、「生きづらさ」「生きにくさ」を解消してくれる、ひいては人生そのものを豊かにしてくれる可能性を秘めた心理カウンセリング本かもしれない。

本来は女性向けに書かれた本書ではあるが、男である私が読んでも学ぶところはたくさんある

男性向けの恋愛指南書をパラパラと立ち読みすると、「なにか私が求めているものとは違う」という気持ちが常に付きまとって買う気がしない。

ナンパ本の類もあるが、一番いけ好かないのが、「人見知りで非モテだった僕がナンパで自分を磨いて云々」といったような本だ。

場数を踏んでいくうちに、身体の関係を持てたりしたところで、虚しさから逃れられない、といったナルシシズムを隠しもせず、数多の女性のカラダとココロを傷付けておきながら(現在進行形で傷つけながら)、さも自分が被害者ぶっているようなナンパ師が書いた本だ。ツイッター界隈にもウヨウヨいるが、あんなのは虫唾が走る。

あるいは相手の女性の心理を見抜くテクニックや、リードする方法などのノウハウが書かれていたりする本などもそう。それはすべて結果論であって、それを身に付けたからといってモテるわけではないし、モテたいわけでもない。なにも本質的なことには触れられない。

そしてそれらに共通しているのが、「女性に対して、どこか一人の人間として、対等に接していない」ような印象をずっと持っていた。

結局その正体は男性性に固執した態度が生んでいるわけであるのだけど。(といったこともこの本に書いてある)

「男に振り回されないために。逆に主導権を握りましょう!」

そのような恋愛メディアや書籍をこれまで手に取られ、実際にそのような方法を実践している方もおられるかもしれない。だが待ってほしい。

一度立ち止まって、それが本当に自分のしたい恋愛なのか。胸に手を当てて考えてみてほしい。

恋愛に疲れた、「もうやめたい」なら…

よく言われていることではあるが、「他人を愛するにはまず自分から」という常套句。

そりゃあ模範解答でしょうよ。しかしですな、人間はそう簡単に「はい、そうですか」といって実践、身に付くものではないのである。

やはり理屈というのがあって人は初めて自分のなかで消化でき、少しずつ浸透していくものなのだ。

本書では、よくある女性に対する巷の恋愛アドバイスなどについても、それはお門違いなんだよと論理的にその理由を説明してくれている。

親や友人、世間の声に振り回されてしまって、「恋愛に疲れた」「もうやめたい」と感じている人も、本書を読めば、少しはその気持ちが和らぐかもしれない

遠からず恋人も見つかるかもしれない。

そしてそれは本当の意味で、愛し合うことのできる相手かもしれない。ぜひ手に取ってみてください。