映画『ワン・デイ 23年のラブストーリー』友達以上恋人未満 男女の友情はあるのかないのか?小説のようなほろ苦いラブロマンス映画

恋愛映画を見る前に、私はなぜかいつも期待を寄せてしまう。

しかし、ハズレを引く確率がとても高いのもこの恋愛というジャンルだ。

そういう意味では、恋愛映画はあまり好きではない

 

ただ、これまでの自分の経験や、小説で描かれている男女の物語を見るにつけ、

「恋愛」には、誰に話すでもないけど生きている物語が、確実に存在している。

それは、男女という関係性(あるいは多様な恋人関係)でしか体験しえない感情であったり、言葉であったりする。

いまでこそSNSの普及によって、そんな秘め事は秘め事ではなくなったのかもしれない。

 

だが、こんな時代にあっても、誰にも語られなかった恋の物語は確実に存在していると思う。

私はそういう「人に語られなかった、語られることのない、二人だけで完結している恋の物語」が好きなんだと、

だから恋愛映画に期待を寄せるのだということに、この『ワンデイ』を見ていて気付かされた。

予告動画

あらすじ

エマ(アン・ハサウェイ)とデクスター(ジム・スタージェス)は親友として、23年間一緒に過ごしてきた。愛する気持ちを心に秘めていたエマだったが、ある年の7月15日にデクスターからほかの女性と結婚することを打ち明けられる。そして、何年にもわたる2人の恋の行方を左右する7月15日が訪れる。

抽象的ネタバレ考察(感想)

「ワンデイ」の評価が別れる大きな要因はおそらく「彼女の■■」だ。

冒頭のあのシーンの先が「あんなことになっているなんて

それなら初めから見なかった」となるのだろう。

その気持ちはとてもよくわかる。

僕もあのシーンでは一瞬呼吸が詰まった。

なにも姿を映さなくていいではないかと。

これは、日本では「恋愛映画」に対して求められている役割が明確なためかもしれない。

バッドエンド恋愛映画、なのか?

しかし個人的には、この物語の結末をバッドエンドだとは思わなかった

仮に彼女が■■ままハッピーエンドを迎えていたとしても、それはそれで彼らを祝福する気持ちに変わりはなかっただろう。

しかしそれは、ひとつの映画体験としてカウントされるだけの作品に過ぎず、これほどの余韻は残さなかったと思う

 

そこにはたしかに世界があった。

彼らが体験した世界は、

歓びや悲しみ、焦燥や葛藤といった、さまざまな感情に満ちており、

視聴者は真相を知らずに「彼女と彼の生きた軌跡」をたどることで、彼らと同じように新鮮な気持ちで感情の起伏を追体験することができるのだ。

冒頭でもし、彼女の■■を告げられていたとしたら、きっとこんなふうには見られなかったと思う。

悲しい物語として彼らを同情の目で見るか、初めから観るのをやめてしまっただろう。

 

もしも彼らが紆余曲折の果てに結ばれて、幸福そうなシーンで終わっていたとしたら、

この映画全体が持つ意味も、大きく変わっていただろう。

 

『ワンデイ』は教えてくれる。現在は関係がないのだと。

生きていようが死んでいようが、そこに歴史はあったのだと。

人は誰しも、「いつか終わりがくる物語」の中を生きている。

どんな結末を迎えようと、そこに人生はあるのだ。

 

 


 

以前、クラブ女子から聞いたことだが、「ワンナイトで終わらせたくない相手には、お預けをくらわす」のだそうだ。

男というのは、匂わせておきながら簡単に体の関係が結べないとなると、かえって相手のことが気になりだすらしい。

 

たしかにそうかもしれない。

この映画も(偶発的だが)最初に男女の関係を結べなかったことが、親友としての23年間につながっている。

僕も高校生の時、両想いになれた子がいたが、その子の親が不順異性交遊を禁じていたため、キスはおろか、一度だって手を繋いぐこともなかった。

それでも彼女のことはいまでも時々思い出す

それは友を気遣うように、ソウルメイトとして。

「彼女は元気にやっているかな」と。

連絡先は消えてはいないけど、何年も連絡は取り合っていない。

つながっているのかいないのか、それすらもわからない。

彼女はおそらく僕のことなどあまり考えていないと思う。それもわからない。

 

恋愛映画には、レディーメイドの役割を期待してしまう節がどうしてもあるが、

そもそもコントロール不能なものこそ、恋愛ではなかったか。

その上手くいかなさこそ、人が恋に魅了される理由なのかもしれない。