斉藤章佳『男が痴漢になる理由』 痴漢は変態でも性欲異常者でもなかった

『男が痴漢になる理由』は、精神保健福祉士である著者が「痴漢の再犯防止プログラム」を立ち上げ、

そのクリニックに通う人たちの12年間の統計で見えてきた痴漢の実態をまとめた本だ。

 

連日取り沙汰される痴漢・セクハラのニュース

僕は日頃、テレビもニュースもほとんど見ない人間だ。

なので詳細は知らないが、それでも連日痴漢やセクハラといった言葉は耳に入ってくる。

それだけ大きな社会問題となっていることが窺える。

 

痴漢検挙数 年間4000件

確認できているだけで、日本では年間4000件近くもの痴漢が発生しているそうだ。

これは、実際に検挙されたりして明るみに出たものの数字でしかなく、被害にあっても届け出なかったものを含めると、数字はもっと跳ね上がるといわれている。

公共の交通機関でこうした性犯罪が多発するのは世界でも珍しく、

「TUNAMI」と同じように、海外からは「CHIKAN」と言えば通じることもあるのだそうだ。
にもかかわらず、その痴漢の実態を暴く書籍はこれがはじめてというから驚きだ。

 

「性欲をコントロールできない」誤った痴漢像

『男が痴漢になる理由』によると、痴漢をする者の多くは決して「性欲をコントロールできない異常者」でもなければ、女性に相手にされない「モテない男」でもないという。

それでは一体どんな男が犯行に及ぶのか。

それは、「どこにでもいる普通の男性」という。

 

法務省の「犯罪白書 平成27年度版」によると、痴漢の特徴として「教育程度が大学進学の割合が33.2%と高かった」とあり、さらに職業別で見ると約半数は、会社員(サラリーマン)であることもわかっている。

加えて、未婚者による犯行が約半数、既婚者は三割となっており、これは昨今の未婚率を加味しても、既婚者による犯行の割合が決して少ないことを意味する。つまり痴漢は、妻帯者であり、子供のいる家庭の父親であることも珍しくないというわけだ。

 

痴漢は依存性の高い性暴力

著者のつとめるクリニックでは、さまざま依存症の人たちを回復に導くための治療を行っている。

「え、依存症?」と思われた方もいるかもしれない。

痴漢の多くは性依存症の一種で、つまり、心の病気に分類される。また、痴漢は性犯罪のなかでも突出して再犯率が高いことからも「依存症」であることが窺える。

だがそれは単に病気だからといって許されものではまったくない。痴漢自身がそれを免罪符にするなんてもってのほかだ。

 

痴漢は性欲解消が目的ではない

痴漢と聞くとどうしても、痴漢=性欲目的と捉えてしまいそうになるが、痴漢の多くは、「性暴力依存症」なのだ。痴漢は性欲解消のためではない。本書ではそれを裏付けるデータも紹介されている。

 

当事者性のなさ 認知の歪み

犯行に及んだ者に対して、「もし身内の女性が同じ目にあったらどう思うか」と問うと、唾をとばして「犯人を殺す」と言うが、自分が加害した女性に対しては反省の色も罪悪感も感じられないという。

これは相手の気持ちを考えれば大きな罪悪感に苛まれるというのを脳が忌避し、思考停止してしまっているようだ。

痴漢犯罪者にはこうした認知の歪みがみられる。

 

普通の男性がなぜ

ではなぜ、「どこにでもいる普通の男性」が、そんな卑劣な犯行に及ぶのかと、ますます疑問に思われるかもしれない。

痴漢という病気を患う根本的な原因は、ストレス。もっと具体的にいうと、抑圧された怒りや苦痛といったストレス。そこに加えて、「女性軽視」という思想が垣間見える。

「ーじゃあ俺は関係ない」と、9割以上の男性がそう思ったかもしれない。私は女性を優先している。女性にはこんなに優しくしていると。女性もまた「彼に限ってそんなことはないだろう…」と。

 

長年培われた男性観、女性観

少なくともあなたが、この国で生まれ、教育を受け、社会生活を営み、普通に生活している以上、残念ながら「男尊女卑」の思想は否応なく浸透している。

それは女性とて同じ。それが普通だという国家社会のものさしを従順に受け入れてしまっている人が大多数だ。そしてそれはたいてい無自覚なことが多い。

僕の中にも女性への偏見というのはある。それが悪意のないものだったとしても、偏見は偏見だ。

だけどそれは、この社会で、家庭で、生活し、暮らしている以上、否応なく身に付いてしまったものだ。それは本当に些細な「女性観」「女性像」かもしれない。

でもその些細なことが積み重なり、現在の問題は引き起こされているように思う。

つまり痴漢は、潜在的なストレスを抱え、その適切なはけ口を知らず、この社会で生まれ育った男性であれば、誰しもがなりうる可能性があるということかもしれない。

 

本当に世の中は、女尊男卑なのか

女性専用車両は、「御堂筋事件」という事件を境に設けられたという。

数か月前、女性専用車両に男性が乗車、撮影し、これを自らネット上に掲載したということでニュースになっていた。

女性専用車両に対する抗議の意で、このような行動に走ったそうだが、これにより、ダイヤは乱れ、多くの乗客に迷惑をかける結果となった。

 

これは当然、男性が非難されるだろうと思ったが、ネット上では意外にも「女性の権利を敵視する層」というのがいるようだ。

 

ここで個人的な考察をはさむと、社会の中で与えられた「男性」という役割=押し付けられた見えない圧力によって日頃から苦しめられている。

その不快感を「なんとなく感じている」人たちが、その原因は「女性だ!」と結論を急いだからではないだろうか。

しかし、そもそもの原因は社会、男性社会、もっというと現代社会の構造そのものであって、その矛先を女性に向けるのはお門違いであり、自分より立場の弱い者へ怒りをぶつけるという行為は、ことの重大さは違えど、痴漢とやってることは限りなく同質だと思う。

つまりこれは男性だけでなく、社会がもっと積極的に取り組まなければいけない課題とも言える。痴漢に対して厳しく取り締まる法整備も、しっかりした矯正施設もないことが、痴漢の再犯率を高めている原因にもなっているらしい。

おわりに

僕は昔からパーソナルスペースが異常に広大だった。それはいまもあまり変わっていない。触れられることへの不快感が、心臓発作一歩手前、なのである。

こちらが掠る、あちらに掠られるだけでも冷や汗をかく。

公共の場にいるときは、イライラ棒さながらのアクションで立ち回り、変なポージングをしながら人を避けている。だから人ごみは嫌いである。

それにしても多くの男という生き物は、なんと平然と触れてくるものであろうか。目線も然り。

と思ったのが高校生のときだったか。

男の僕がこれだけの不快感を覚えるのだから、女性が、しかも意図的に触れられることの不快感は、想像を絶するだろうなと思う。