町田康『パンク侍、斬られて候』町田節炸裂のなんじゃこりゃ小説 支離滅裂、奇想天外、江下レの魂次?

尊敬する人物は誰かと聞かれたら、「町田康です」と答えようと思っているのですが、そんな質問をされる機会がない。機会がないし、仮にそんな機会が訪れたとしても、「誰それ?」かなんかお愛想でいわれ、「パンクロッカーであり、小説家であり、 伊達男である」と真面目に答え、「すごい人だねえ」と流されてしまうのがオチだろう。

あ、またやってしまった。小説家・町田康という人の恐ろしいところのひとつは、この文体の伝播力だろう。

文体で個性を表現し、確立させるというのは、至難の技だ。わかりやすい例えを挙げるなら、「村上春樹っぽい」というあれだ。

素人が、その作家特有の文体を真似するだけで、「~っぽい」と形容されるような文章を、自らの個性で獲得した稀有な作家。その一人が町田康なのだ。

そもパンクとは

パンク(英: punk)は、パンク・ロックを中心に発生したサブカルチャーである。音楽、イデオロギー、ファッション、アート、ダンス、文学、映画などの表現形態がある。パンクは独自に派生を遂げた小さな派閥から構成されており、その一部はさらに発展してパンクとは異なる独自のサブカルチャーを形成するに至っている。

出典元:パンク (サブカルチャー) - Wikipedia

個人的に最近の邦ロックと括られるジャンルは、もはや形骸化してしまった、ひとつの商業的カルチャーに成り下がってしまったと思っているのですが、パンクは、ロックよりもっと深い階層だと思っていただければ結構です。

さすがにこの境地が流行る、ということはなさ(?)そうです。

パンクが愛される世の中など、それはそれで大いに問題があるからです。

あらすじ

と、書いてみたものの、すじを話すことの意味さえないように思う。というか、どこから手を付けていいのかわからないのだ。

基本的に町田康作品に共通するのは、「笑い」を必ず混ぜてくるところだ。つらつらと書かれた長文から放たれる笑いに、思わず「んはっ!!!」と、声を上げて笑っていることがよくある。

そしてもうひとつは、「冗漫さ」だ。思考の駄々漏らし、といったらよいのか。

人は誰でも心の声というのを意識せずとも、呟いている。そんなときに際限もなく溢れる、思考の奔流。気に止めなかったら、なかったもののようにされてしまう、言語化される前の言葉たち。それらを、つぶさに掬いあげ、言葉として命を吹き込めるのが町田康氏の匠の技です。

 

この作品はとにかく、ハチャメチャです。バイオレンスな描写もたくさん出てきます。

ただ、町田康の小説を知ろうとして初読でこれを選ぶのはまったくおすすめしない。町田愛好者である僕が、すでに三度ほど読んだが、なんといってこの本を紹介すればいいのか、わからない。

6月に同作品が実写映画化されることが決まり、「どれ、試しに読んでみよう」と思っている読者もおられるだろうが、おそらくこれを読んでも「わけわからん」と思います。

映画は映画として見るとして、町田作品に触れておきたいと思うなら、「くっすん大黒」「浄土」あたりをおすすめします。(数多出ている彼のエッセイも面白いですよ。)

作家の人となりを知って、映画を見ると、パンク侍の世界に、どっぷりと浸れるかもしれません。