唯一無二の孤高のアーティスト島崎智子。人生を生活をこれほど切実に歌い上げる人を私は知らない

語るよりもまずは一曲。聴いていただきたい。

私はその名をつい二週間前までは知らなかった。

 

たしかに音楽は好きだし、人よりもマイナーでディープなアーティストも少しは知っているつもりだ。

だがいままで自分が聴いてきたどの音楽とも違う、彼女の歌には「切実さ」の血が滲みだしていた。

 

誰かを深く愛したことも、離婚を経験したことも、虐待を受けたことも、私にはない。

まだまだ人生経験の浅い、ごく普通の、人並み以下の人間だ。

そんな私にもかかわらず、彼女の歌を聴いていると、全身が総毛立ち、そう簡単に動かないはずの感情の蓋が馬鹿になったようにはずれて、気が付けば泣いている。

「なにを我慢していたの?」と自分に問いかけたくなるほどに。

 

私は彼女が、いわゆる毒親に育てられた人だとは今回のトーク&ライブに参加するまでは知らなかった。

虐待経験のない私でさえ気持ちが堪えきれなくなるレベルなので、ちょっと毒親を実際に持つ人にとって彼女の歌は刺激が強すぎるかもしれない。

 

彼女は姉と弟の三人兄弟の真ん中で、父親、母親、祖母からの虐待に耐えてきたという。

体も心も暴力を受けていた彼女であったが、「体よりも言葉のほうが辛かった」と話す。

彼女は歌っている最中、いろいろな表情を見せる。思い余って、感情が溢れ出して涙をこらえるような声音になったり、叫び出したり、一人で壁に向かってささやくような声になったり。

 

まさかその感情表現までもが、CDに収まっているとは思わなかった。

 

考えてもみてほしい。福山雅治が涙を堪えた歌を録音してCDにしていたらどうだろうか?aikoが号泣してCDを収めていたら?

この滑稽さは想像に難くないと思う。

「イタイ」の一言だろう。

 

だが、彼女の場合それがなぜか、どう贔屓目に見ているとはいっても、違和感というものがないのだ。

 

正直、彼女の歌は聴けば聴くほど「生もの」だな、と思っていたので、CDを買うことは躊躇っていた。即効でこそ、生きる歌。

この空気感をCDに収めることは不可能だと思っていたからだ。

なぜなら人間には下心というものがあり、いくらその瞬間の感情に嘘偽りのない曲が出来上がったとしても、時間が経過して、そこに過度な感情が乗ると、歌い手と聴く側の温度差から冷めてしまう。

これがライブであれば目の前にお客さんという「相手」がいるので成立するかもしれない。

だがCDは違う。

レコーディングしているときは一人であり、ライブをしているときのような臨場感や緊張感を持って臨むことができない。つまり感情の起伏が色濃く出たものをCDに収めるということは不可能なのだ。

 

そう私は思い込んでいた。

けど、彼女は違った。違うと教えてくれた。

彼女にとっては音楽が言葉の代わりであり、詩とメロディーと感情、その三つが込みで、はじめて完結する表現なのだ。

 

NEWアルバム『片道切符』に収録されている、「腫れた足息止めて拭く」は生歌もさることながら、CDもちょっと想像を絶するくらいに、いい。

この曲は14年前に父親が亡くなったときのことをすぐに歌にはしたものの、これまで歌えなかったという名曲だ。

ようやく今回のアルバムに収録することができたのだという。

 

お話も歌も、とてもよかったが、なにより彼女の笑顔がとっても素敵で印象的だった。

 

帰り際、サインと握手をもらった。

どうやら私は感情が揺れ動いているときほど、気の利いたセリフは浮かばないようだ。

 

福岡にくるのはまた一年後。いまから待ち遠しい。

つーか近場であれば遠征したい。そしたら遠征初のアーティストになるなー。

 

ほんとうにありがとうございました。島崎智子さん、出会えてよかった。とらきつねさん、ありがとう。

片道切符ツアーとロンドン公演、頑張ってください。

追記
これ多分、日本人の20代後半~40代にかけての、いわゆる経済的に苦しい時代を生きてきた未婚の人が多い世代の人たちにとって心に響かない人いないんじゃないか、ってくらい名曲。
MC三分あるけど我慢して聞いて。MCも切実やから。あー涙が止まらへーん。