映画『新聞記者』もう誰が被害者で誰が加害者かわからないこの混沌こそが現在の日本の現実なのではなかろうか 不条理小説のような硬派な社会派作品だった

予告

抽象的ネタバレ考察(感想)

参院選の前に公開されたこちらの映画『新聞記者』。

CMを打とうにもスポンサーがつかず、主人公の女性記者役を打診しても事務所が断るという、なんともまあ皮肉にも現政権と広告業界のベッタリ具合が露わとなったわけだが。

そんな困難がありつつ、公開映画館も少ないなか異例のヒットを記録しているという。

 

自分がこの映画を見たタイミングは、参院選後だったが、たしかにこの映画をいまの時期に公開に踏み切った勇気もさることながら、作品関係者は相当な苦労を要したことだろう。

と同時に、この国は本当に大きな転換点に立たされているということもいえる。

そんなことを書きながらも、カフェ店内を見渡してもどこにもそんな兆候は見当たらないように見える。それが却って恐ろしくもあるが。

 

それにしても、この映画は近年稀にみる日本映画のなかでも硬派な社会派作品ではなかろうか。

喉元に切っ先を突き付けられているような緊張感がひしひしと伝わってきた。

 

そもそも、外国やお隣の国、韓国では政治モノを取り扱った映画はたくさん作られているというのに、日本には政治を扱った映画そのものが異常に少ないということに気付いた。

ググってみたが、本当に数えるほどしかないようだ。(古い映画にはあることにはあるが)

それは単に観客動員の見込みが少ないからという理由や、国民の政治に対する関心の薄さの現れでもあるのだろう。

数字が取れないと予算がつかない、予算がつかないと制作ができない、つまりは民意が反映された結果といえる。

その国の国民の政治、大袈裟にいうなら、目先のことではない、自分たちの生きる現実に対する関心の薄さが、この日本という国に住む人たちの体質なのかと思うとしょげる。

むしろ戦後からよくここまで政治家はある程度まともにやってきたなあ、という気もしなくもない。

マスコミ映えするスキャンダルてきなことには文句を言うだけ言って、社会的な問題にはほとんど関心を示さないで「ちゃんとやっといて」みたいな国民に耐えてきたなあ、と。(その反動がいまなんだろうけど)

進んだ先進国では民衆の政治への関心が高い。それを監視するというのはある意味国民の義務でもある。

あと教育ね。

これはアメリカの意図的な介入があるから仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけど、なんでこう「考えてものを述べる人」が少ないのかは本当に疑問だ。それは自分含めてだけど。

 

散漫な記事になったし相当主観的な感想になったけど、映画を見て何を感じるかはあなた次第。

でもこれ、本当にいい映画だよ。ある種の不条理小説的な。

 

それにしても、善というやつは、意志を継がない限り養われない性質のものなのだろうか。

「誰よりも自分を信じ、疑え」

吉岡の父が残した言葉。これはリトマス紙の役割を果たしている。

少なくとも元来の知性とは、こうあるべきだと私も思う。

この言葉が響かないのなら、あなたはすでに悪魔の手先になっているのかもしれない。

 

映画見てから時間経ったからこう冷静な感想述べてるように見えるだろうけど、まじで歯ぎしりしました。笑

悔しいやらなんやら涙でるわ。

まだの人はぜひ。