吉村萬壱『前世は兎』閲覧注意小説。現実を直視したくない大人は直ちにこの場から避難してください

禍々しいという言葉がたったいま思い浮かんだ。

吉村萬壱さんの小説はこれまで『虚ろまんてぃっく』『ボラード病』と読んできた。

どちらも図書館で借りて読んだものだ。

『ボラード病』を読み終えたちょうどその頃、新刊が出ているらしいことを知り本屋へと急いだ。

氏の文章を貪り読むうち、もはや引き返せない蠱惑的な魅力に憑りつかれてしまった。

タイトルは誇張などではない。このまま現実を見たくないのであれば、引き返すなら今しかない。それは、あの311以降に起こった原発事故のことだ。

 


 

『虚ろまんてぃっく』を、いや、吉村萬壱さんの書く小説の文章をはじめて目にしたときから、ある種の胸騒ぎを覚えた。

それはいまや、この日本社会を覆いつくさんとしているタブー、いや、タブーという空気さえ失われつつある「触れてはならないこと」に、ほとんど真正面から切り込んでいることだ。

ここで勘違いしてはいけないのが、それは決して「正々堂々と(潔い)」という意味と同義ではない。

たしかに、一遍一遍の物語終盤では、堰を切ったように正面からタブーにぶつかっていくのだが、そこに至るまでの過程(プロセス)は、「まどろこい」といってもいい。

だが、それがいい。

吉村萬壱さんの魅力はここにある。

突飛なストーリー設定は言わずもがなだが、じくじくと内側からエグるようにして読み手の脳みそに働きかけてくる文章に、読者は思わず冷や汗をかくことになる。そして、終盤で待っている、突如として繰り出される鋭利で直線的な思想の暴発。

多くの人にとって、この一連の訴えは、おそらく嫌悪感を抱くものかもしれない。

現に、『前世は兎』の単行本が発売されてから、二か月が過ぎたにも拘わらず、amazonレビューは二件しかない。

それは、読者があまりの嫌悪感から、読了することさえ困難になり、批判にまで行きつけないからではないだろうか。仮に読み終えたとしても、「無かったこと」にしたくなるようなリアリティ禍々しさによって、一刻も早く、記憶から消し去りたいという心理の表れであろう。

しかしながら、私にとってそれはまったく不快なことなどではなく、むしろ愉悦のようなものさえ、微かな背徳感とともに覚えてしまう、魅力的な小説なのだ。

 

この吉村萬壱さんの作品との出会いにおける喜々とした心持ちは、香山哲さんのそれと出会ったときに感じたものと似ている。

香山哲さんの場合は、もっと穏便な方法であったが、世間がこぞって見て見ぬふりをしている事柄と向き合う姿勢を持つ大人という点においては、限りなく近いものを感じたのだ。

 

吉村萬一さんのその観察眼が見破るのは、あの日起きた事故後の世間の態度に関するものだけではない。

それは、彼の物語すべてに通底している、「男は皆雄であり、その爆弾を抱えた生き物である」という事実だ。

自覚的である人間にならわかる、自分のなかの「雄」。

これは先天的なものか、男が優位な社会で育まれた後天的なものであるのかはわからないが、男には誰しも、程度の差こそあれ、「雄の本能」を隠し持っている。

男として生まれてしまった瞬間から切り離せない、己の中に潜む「化け物」を直視できる男は少ない。

それを隠しもせずに晒している自覚すらない者は論外だが、その内なる「化け物」を「私には備わっておりません」という体で、素知らぬふりで通している男もまた非常に多い。

現に、それは痴漢などに対する意見や、犯罪を犯すものに対する偏見などにみられる、「当事者性のなさ」に表れている。

「自分は絶対にそんなことはしない」「自分には関係がない」

そんな無意識の認識が、犯罪の芽になり得るとも知らずに。

 

彼はそんな、男の大半が看過している「雄」の部分を、なんの疑念も躊躇いもなく描ききっている。

筒井康隆さんの小説にも、時折このような観察眼を持った女性が描写されることがあるが、吉村萬壱さんのそれは、個人的に筒井氏を遥かに凌ぐ筆致だと思った。

 

前世が兎だった頃の記憶を持つ女の表題作『前世は兎』で暴かれる、男の制御不能な欲動と、畜生以下の人間たち。

現実の悪夢と対峙するうちに、夢と現の区別がつかなくなってゆく家族の崩壊する様を描いた『夢をクウバク』。

休職中の女が、ヌッセンカタログを夢中になって書き写す『宗教』で描かれる、健常と異常の交錯。

 

終わりを意識することで保たれている自我、希望を見出している自我。

それは、こうした作品なしでは、私一人の力では、到底保てない。保てないのだ。

 

消費でしか鬱憤を晴らす術を知らない、飾りの脳みそをつけた人間たち。

一方で、この国の危機を声高に叫ぶ、教養人。

だがもう、声を上げる人間さえ、愚鈍だと感じてしまう。

そう感じたことさえ、誰かに訴えようとは思わない。それほどに冷めている。

吉村萬一さんの描くすべての小説作品は、そんな絶望を一人で抱え込み、それでもなお、淡々と世の中を生きていくしかない人間に、救いの手を差し伸べてくれている。