『女装して、一年間暮らしてみました。』男らしさなんか捨てちまえ!ジェンダーの定義を揺るがす衝撃的な一冊

男と女の違いってなんだろう。

「そんなことは生まれた時から決まっているじゃないか」

僕もそう思う。

おちんちんがついているか、そうでないか。現に赤子はそうして生まれる前から性を判別される。

僕は男だ。男は基本的に自由だといわれている。

でもそれが嘘だって、僕は知ってる。

我慢、忍耐、どんなにつらくても、耐え忍ぶのが男で、男に生まれた以上それが宿命で、

そんながんじがらめの中に生きてるものだから、たとえ窮屈でも、不自由さを感じていても、「女々しいやつ」と思われるのが嫌だから。弱いやつだといわれるのは恥だから。弱音は吐けない。それこそが男だから。男だから。男だから。

女装して、一年間暮らしてみました。著:クリスチャン・ザイデル

筆者はかつてドイツのテレビ局の敏腕プロデューサーとして働いていた、ごく普通の、いやむしろ男なら誰もが羨む、富も名声も地位も(美人妻も)得て、何不自由なく暮らしていた男性だ。

そんな彼はある日、散歩をしていると、足元が寒いことに気が付く。

ただ、ももひきを履くのは暑すぎるし、脱ぎ着も簡単にできない。なにかももひきに代わる、ちょうどいい履きものはないか、とデパートに足を運ぶ。

しかし、そんな理想のものは見当たらず、なにげなく女性下着売り場に目をやると、そこには、男のドブネズミ色の売り場とは違って、カラフルで華やかな、見ているだけでワクワクする、種類の豊富な下着の数々に目を奪われる。

そうしてそこで見つけたストッキングが、筆者のなかの女性性を目覚めさせていく。

女装することで男性性から解放され、己の女性性を知る

ストッキングに始まり、ワンピース、乳房、ハイヒール、化粧とどんどんエスカレートしていく。

なぜそれほどまでに筆者が、女装に没頭していったのかというと、理由はいくつも考えられるが、そのひとつは、「自由の獲得」だった。

もちろん、社会的な目線を考えると、さまざまな嫌がらせや、困難に直面する。

では、なにからの自由だったのかというと、「自分自身」「男」からの解放、そして、自分の中の「女性」の解放だった。

内面は大きく変わっていないのに、豹変する周りの態度

クリスチャン・ザイデル氏が女装をするようになって、公の場へ出ると、それまで仲の良かった男友達は罵声を浴びせたりして、そのほとんどが去ってしまい、知り合いであった多くの女性も疎遠になっていった。

ただ、ここでおもしろいのは、クリスチアーネ(女装時の名前)として初めて出会う女性の多くは、彼、いや、彼女のことを歓迎した。それも、女性としての彼女を。

初対面であれ、目をじっと見つめると、軽く微笑み返してくれた。男のときには考えられなかったことだ。

人は内面だと多くの人は言うが、人間がどれだけ外見的なものに頼っているのかということがわかって面白い。

クリスチアーネの言葉は社会に必要な気付きを与えてくれる

最近は本当に性の問題が大きく取り上げられるようになってきた。

いままで看過されてきたことだったし、僕としては、社会とは、人間界とは、こんなもんなのだと、理解していた。ある程度粗雑さがないと、男女の関係になることすらできないのだな、と。

ところが、それが急にここへきて、いままで見逃されていた男のさり気ない(はたから見りゃ全然さり気なくないけど)言動に、注意を払わなければいけなくなってきた。無関心でいることが難しくなってきた。

50代で価値観を変えろ、といわれてできるとは到底思えない。いや、30でも人によっては難しかろう。

男も女も一度自分の価値観をぶっ壊してみなきゃ、自我とか世間体が邪魔をしていて、本音は出てこないと思う。

少なくとも、本書を読むまではそう思っていた。

だが、違う。

男性諸君、何歳からでも遅くない。自分の中の「男と女の定義」をもう一度見つめなおし、

今こそ自分の、これまで抑圧してきた「女性的な部分」を認めてあげるときではないだろうか。

そうすれば、なにがアウトでなにがセーフなのか。

自ずと体感的にわかってくるかもしれない。

いや、これは男性に限った話ではない。

女性にも読んでもらいたい本だ。

自分の苦しみを相手にわかってもらうとき、必要なのはどんなに辛くても相手のことを理解することだ。

それは「寄り添う」などといったことである必要はない。

ただ、理性的に理解することは、これ以上問題がこじれないためにも、必要なプロセスなのだ。

本当に衝撃的な本だった。ぜひ。