小口日出彦『情報参謀』有権者が知っておくべき事実 覗かれるあなたのニーズ 自民党を皮切りに政治運営にビッグデータは欠かせないものとなった

本書は2009年夏の総選挙に大敗を喫し、政権与党の座から陥落した自民党が、「なにか対策を」と民間のIT企業を雇い、「テレビ・新聞・ネットなどのあらゆるメディアから情報を収集・分析」して政権奪還を果たすまでの4年間の記録である。

執筆したのは、当時その舵取りを現場で任される格好となったIT企業の取締役。つまりこれはフィクションではなく、現実に起こった、起こっている話なのだ。

 

大袈裟な話(大袈裟ではないが)、このいちブログの発言でさえ、テキストデータとして残されてしまう以上、その情報収集の対象となる。

 

正直、この本で明かされていることは、有権者一人一人が知っておかなければいけない、知らされておくべきことだ。

でなければ、フェアじゃないからだ。

 

広告を例に挙げてみよう。

そもそもなのだが、広告というのはいまやお金が動くときの必須条件といってもいい。

だが、その仕組みを理解している大衆は圧倒的に少ない。

でなければ、ほとんどが嘘で固められた商品やサービスを買ったり利用したりしないからだ。

「誇大広告であれば、そういう機関から指摘が入るんじゃないの?」

それは大きく逸脱した場合だけであって、小さな嘘や詐欺さえその対象となれば、この世に売り出せる商品など、ほとんどなくなってしまう。

つまり広告、またはそれらから収入を得ようと画策する者たちは、いかにして商品を売るか、消費者の潜在的ニーズを探りデメリットを薄めて、メリットを強調するためなら、多少の嘘や言い換えは黙認するという前提がある。

 

百歩譲って商品やサービスを売る場合にはその手法は良しとしよう。

でなければ資本主義社会なんてのは回らない。

 

だが、政治はどうだろう?

有権者の心に探りをいれ、ニーズや関心ごとを探り、それを汲み取るのではなく、批判であれば地雷を踏まないように、あらかじめ気を配り、趨勢を読んで「イケる!」と思えばそれを拡大して取り上げる。

「政治も、国民の関心を得るには、マーケティングの視点に立って戦略を作る必要がある」

最初はITに対して懐疑的だった年寄り議員たちも、党内での共通認識として、この考えが浸透していく。

時代の流れといってしまえばそれまでだが、彼(筆者)がしたことは、歴史的に見ても大きな罪にあたるのではないだろうか。

冒頭で彼自身、第二次世界大戦時に英国機密諜報機関で暗躍した天才数学者、アラン・チューリングの話も持ち出しているくせに、自身にあてはめはしなかったのか。

チューリングの場合は、懊悩した。多くの人の死が、それも自国民の命が、自ら開発した機械によって殺められていく。

結局彼は懊悩の末、自殺してしまう。

 

もちろん、今回の筆者でなくてもこのIT時代、彼の代わりなどいくらでもおり、時間の問題であっただろうし、歴史という化け物を俯瞰してみるのなら、これもまた必然といえるかもしれない。(それはまた別の話だが)

 

しかも彼は本書で折に触れて、「自民党を支持する」ということを宣言している。(仕事をするなかでそう意識していくのだが)

「自分は努力主義者だ」とも堂々と述べている。

当時民主党が掲げていた「消極的な、『いまある幸せをなんとか持続しようとする社会』など、希望がない」と切り捨てる。

 

エリート主導によって進められる社会が、果たして本当に「いい社会」になりうるのか。

ビッグデータという情報は使い方を誤れば、誤ろうと意図すれば、世論を誘導することだって不可能ではない。

事実、こうした情報戦略に味を占めたがために、現政権の暴走に至っているのではないか。

 

本書の結びはこう締めくくられている。

野党時代の自民党と働いた4年間は、掛け値なしにおもしろかった!

本書の初版は2017年7月である。

 

私は怖い。

ルールが変わったことを知らせもせずに、「これが世のため人のためになった」とほくほくしている人間がいるということが。

 

もちろんこれは日本だけではない。海外でもこうしたビッグデータを取り入れた政治運営がなされている。

つまりこれからの時代を生きる人は、こうした側面があることを念頭に置きながら、情報に当たらなければ、彼らの手のひらの上で踊らされることになる。

 

本としては物凄く読みやすいです。やっぱ頭いいんだなーって感じです。

新書ではあるけど、そこまで堅苦しくないので、有権者で、政治に関心がある人なら、必読の書です。

 

追記

それでもひとつ、希望を持っていえるのは、あなたの社会への関心、とりわけネット記事で、あまり大衆ウケはしないものの価値のある記事にアクセスしてそれを読むことは、社会の端っこから世の中をじわりじわりと変えていく、もしくは抵抗するための確固たる手段である、というふうにも感じました。

ようするに、結局は民度の問題なのです。民衆の関心ごとがゴシップではなく、もっと社会への関心に変わっていけば、世論を操る側も、そっちに比重を置かざるを得なくなるのです。

…これは果たして希望といえるのだろうか。

ゴシップなんてのは万国共通、人間の嗜好品みたいなものだからな…。

 

ぐほ